
【エンタメ総合】
田代まさし ロングインタビュー2025 【後編】「もう一度、鈴木雅之の隣で歌いたい」――ドゥーワップの“原点回帰”と未来への願い

2022年の出所後、音楽とともに再起を図る田代まさし。自身の原点であるドゥーワップに立ち返り、イベント『ドゥーワップ・カーニバル』を主催するなど、精力的に活動を展開している。後編では、ドゥーワップ界の本場アーティストとの共演や、山下達郎、大瀧詠一らとの音楽的な接点、日本のシーンでの広がりにも触れながら、黒人音楽への深い敬意と影響が語られる。そして田代が語る “最後の夢”とは――かつての盟友と再び並んでステージに立つその日まで、声ひとつから始まった音楽が未来を描く。
【写真】ドゥーワップや黒人音楽への愛を語る田代まさし
■「田代を呼んでもいい」って思ってもらえる場所に自分がいないとダメなんだ
――田代さんは、本場のドゥーワップグループとも共演されていますよね。
1981年にドリフターズを日本に呼んで共演できたんだよ。俺たちシャネルズの企画に招いてね。本家本元を日本の人たちに紹介できて、「これがドゥーワップだ!」って提示できたのは、ほんとに誇らしい瞬間だった。ドリフターズは、山下達郎さんや大瀧詠一さんも好きなグループなんだよ。
――志村けんさんがいた日本のグループと同じ名前ですし、ご縁を感じるお名前ですね。
日本のドリフターズはお笑いで有名なグループだけど、1964年にビートルズが来日した際には前座を務めてる。音楽的にも素晴らしいグループなんだよ。お笑いもリズム。志村さんもそう教えてくれたしね。
アメリカのドリフターズはベン・E・キングがいたグループで、「スタンド・バイ・ミー」でも有名。大瀧さんの曲を聴くと、ストリングスがすごく印象的でしょ?ドリフターズもそうなんだよ。ほかのドゥーワップのグループとはちょっと違う、あのストリングスの雰囲気。大瀧さんの音楽にも、それが反映されてると思う。
――ドゥーワップが好きな方は多いんですね。
イラストレーターの湯村輝彦さんなんか、「フラミンゴ・テリー」って名乗ってたくらいでさ。フラミンゴスっていうグループが好きで自分の名前にしちゃったっていう。大瀧さんのジャケットを描いてた永井博さんもドゥーワップ好きで、ペンギンズのファンなんだって。俺も好きなグループがいすぎて挙げきれないよ。
――日本のドゥーワップグループはどうなんでしょうか?
『ドゥーワップ・カーニバル』に出演してるThe Wanderersは、後期のクールスにいたメンバーがやってるグループだよ。沖縄のThe One Dollarsなんかは、シャネルズ大好きでさ。宮古島は、ロカビリーやドゥーワップが根強い文化として根付いてる。そういうのが日本にもあるのが、うれしいよね。
――改めてドゥーワップの魅力とは?
ドゥーワップって、黒人たちが貧しくて楽器を持てなかった時代に、唯一持てる“声”を武器に生まれた音楽なんだよ。映画『ロッキー』の1作目のオープニング、黒人たちがドラム缶囲んで焚き火してるシーンで、みんなでアカペラでハーモニーを作る。まさに「ストリート・シンフォニー(※シャネルズの楽曲 )」だよね。ああいうのが原点なんだよ。
――“声だけで奏でる音楽”。
山下達郎さんは、そういうのが大好きでアカペラアルバムを出したんだけど、そのときに「お前らのおかげで出せたよ。ありがとう」って言っていただいて。うれしかったよね。山下さんは芽瑠璃堂っていうレコード屋さんでたくさんドゥーワップのレコードを買っているのを見たこともあるし、本当にドゥーワップを愛してるんだと思う。俺も音楽があったからこそ救われたし、まだこうして生きていられる。
――今でも音楽に対する熱は変わりませんか?
むしろどんどん強くなってるよ。年を取るとさ、昨日のことは忘れてるのに、昔のことははっきり覚えてる。あのとき、メンバーと何をしてたかとか、どんな音だったかとか。昔の音楽って、記憶にも心にも深く残るんだよ。
――今、改めて若い世代にもドゥーワップの魅力を知ってほしいと思いますか?
そう思ってるよ。YouTubeでグループ名を検索すれば、今でも昔の映像が見られる。ハゲてるとかヨボヨボとか思うかもしれないけど(笑)、声は変わってなかったりして。それがまた感動するんだよ。時間が止まるっていうかさ。
――これからも『ドゥーワップ・カーニバル』は続けていきたいと?
うん、やれる限りはやりたいよ。そして、最終的にはやっぱり、もう一度、鈴木雅之の隣で歌いたい。それが俺の目標なんだ。堂々と「田代を呼んでもいい」って思ってもらえる場所に自分がいないとダメなんだ。だから『ドゥーワップ・カーニバル』を続けないと。
――鈴木雅之さんも45周年を迎え、『Doo Wop』と名付けたツアーを開催されていました。
俺がシャネルズ時代に歌ってた「Silhouettes」を歌ったんだよね。しかも、フューチャーズのソウルアレンジのバージョンでやってたんだよ。俺の勝手な妄想だけどさ、あれは私信だと思ってる(笑)。俺、ちゃんとそういうところもわかってるからね(笑)!
――その“私信”に応えられるように。
2人で一緒にシャネルズ作って、朝まで音楽の話ばっかりしてた。そういう気持ちがあるから、また並んで歌いたいんだよ。鈴木も、俺も、もうそんなに若くない。だからこそ、それを強く思ってるんだよね。
■田代まさし
1956年8月31日、佐賀県唐津市生まれ。高校時代に鈴木雅之らと結成したシャネルズ(のちのラッツ&スター)で歌手デビューし、タレントとしても多方面で活躍する。薬物依存による逮捕・収監を経て、現在は更生と音楽活動に注力している。2025年7月には、再起のきっかけとなった“言葉たち”をつづったエッセイ集『こころの処方箋』を刊行。そのほか、障がいをもつスタッフたちが企画・製造するポン酢「ヒロポン酢」とのコラボレーションや、アパレルブランドとの共同企画なども積極的に展開している。