
【エンタメ総合】
浪速のロッキー・赤井英和、恩人は浪速高校の先輩の“大物芸人” 救いの言葉をくれた「お前の人生おもろい…」
ABEMAで放送中のバラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』が、7日午後9時30分から最新回を配信。元プロボクサーで俳優の赤井英和が登壇し、「浪速の伝説ボクサー 生死を彷徨ったしくじり伝説!」と題した授業の後半戦を行った。お笑いコンビ・アンタッチャブルの柴田英嗣がサポート役を務め、赤井は波乱に満ちた現役時代から俳優転身に至るまでを赤裸々に語った。
【写真】ファイトマネーは0円!手売りチケットのみが収入と激白した赤井英和
高校・大学時代に頭角を現し、「オリンピックで金メダル獲ったるで!」とプロ入り。デビューから12戦連続KO勝利という当時の日本記録を打ち立て、テレビ放映もされるほどの人気を博した。しかしその裏では「ファイトマネーは0円。売りチケットだけが収入」という厳しい現実があったという。「テレビの放映権や激励賞もあったけど、全く入らなかった。当時は一生懸命で全然わかっていなかった」と語り、会長との関係にまつわる“しくじり”も明かした。
1983年、初の世界タイトル戦に挑むも7回TKO負け。その後はトレーニングを怠り、酒に溺れる日々を過ごすようになった。再起を懸けた試合前には「モチベーションが上がらず」と失踪。「お金の流れが見えず、納得できなかった」と当時の葛藤を語った。復帰後の試合でKO負けを喫し、「急性硬膜下血腫・脳挫傷」と診断。生存率20%、術後生存率50%という危険な状態から奇跡的に生還するも、医師から「もうボクシングはできません」と告げられ、25歳で現役を退いた。
その後、将来への展望を見失い「空白のような日々を送っていた」という赤井を救ったのが、浪速高校の先輩である笑福亭鶴瓶だった。「お前の人生おもろいから本に書いたらどうや」という鶴瓶の言葉に背中を押され、自叙伝の執筆を開始。これが映画化され、主演として俳優デビューを果たした。「人生の恩人」と慕う鶴瓶の一言が、俳優・赤井英和の原点となった。
番組では、引退後の手術直後の心境や初主演映画の裏話も語られ、まさに“命を懸けたボクシング人生”をリアルに再現。壮絶な過去を経て今もなお輝き続ける赤井の姿に、教室の生徒たちからは熱い拍手が送られていた。












