
【映画】
ジェームズ・キャメロン「成功しなければ次はない」 『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』を語る
全世界歴代興行収入ランキング第1位に君臨する『アバター』(2009年)、そして自身の代表作『タイタニック』(1997年)を超え、同ランキング第3位にランクインした『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022年)。映画史の頂点を更新し続けてきたジェームズ・キャメロン監督が手がける「アバター」シリーズ最新作『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』が、12月19日より公開された。
【動画】監督・キャストが語る、進化した新たな映像体験
神秘の星パンドラを舞台に、先住民ナヴィと人類の衝突を描いてきた本シリーズ。唯一無二の世界観と圧倒的な没入感、そして普遍的なドラマによって世界中を魅了してきた。その最新作について、キャメロンは「この映画は“集大成”であり、第一章の“完結”でもある」と語る。
■2作目と3作目は、もともとひとつの物語だった
12月中旬、最新作のワールドツアーの一環として、キャメロン監督が前作以来3年ぶりに来日。日本のメディアの取材に応じた。
「1作目から2作目への変化は大きかったですが、2作目から3作目への変化はそこまでではありません。というのも、2作目と3作目は同時期に作られていたからです。実はあまり知られていませんが、もともとは“ひとつの物語”だったんです」
当初は1本の映画として構想されていたが、収まらなかったという。
「最初は1本にまとめようとしましたが、うまくいかなかった。そこで脚本を半分に分け、少し構成を組み替えて、3時間の映画2本にしました。それだけ語るべき物語があったということです」
最新作は、シリーズが続くことを前提とした“途中章”ではないと強調した。
「まず言っておきたいのは、この作品が成功しなければ次は作れないということ。そして、もし続くとしても、それは“新しい物語”の始まりになります。だからこそ、観客には“ちゃんと終着点に向かう映画”を観てほしい。途中で放り投げられることはありません」
本作では、感情的な完結――カタルシスに到達することを何より重視したという。
■映画館では“説明できない何か”が起きるべき
最新作を観た感想として「言葉では説明できない体験だった」と伝えると、キャメロンは強くうなずいた。
「映画館では、“説明できない何か”が起きるべきだと思っています。それは映画でしかできないことです」
小説や配信作品との違いについて、こう続ける。
「小説は読者の想像力によって世界が完成します。一方で映画は、具体的なイメージを提示しながら、観客の想像力によって“本当にそこにいる”感覚を生み出す。TikTokや配信が悪いわけではありませんが、映画館にはより深い没入と集中がある」
映画館で映画を観ることは、自分自身との“契約”だという。
「2時間、あるいは3時間、途切れない体験に身を委ねる。ほとんど瞑想に近い状態ですね。五感を支配する――それが映画にしかできないことです」
■父と息子の物語に込めた“実体験”
若いクリエイターへのアドバイスを求めると、キャメロンはこう答えた。
「“実体験”を作品に持ち込むことです」
本作の物語の核となるのは、ジェイクとロアクの父子関係。その緊張は、キャメロン監督自身の人生と重なっている。
「14、15歳の頃、父は僕を理解してくれませんでした。僕は芸術志向で、父は実務的なエンジニア。反抗的だった自分と、規律を重んじる父との衝突がありました」
やがて5人の子どもの父となり、思春期の子どもたちと向き合う中で、同じ葛藤を経験したという。
「だから今回は、語り手を次男のロアクにしました。ジェイクにはロアクの物語は語れないからです」
ロアクは、偉大な父に認められたい、誇りに思ってほしいと願っている。その叫びは、スパイダーとジェイク、スパイダーとクオリッチといった、他の父子関係にも波及していく。
「この映画は、理解されていないと感じている子どもたち、親に誇りに思ってもらえないと感じている若者たちのための映画でもあります。家族はどこも複雑ですが、その絆こそが力になる。それはどんな文化でも共通するものです」
■火と灰――テーマとしてのビジュアル
前作が「水」だったのに対し、本作の象徴的なモチーフは「火」と「灰」。技術的な挑戦以上に、キャメロンが重視したのはその意味だった。
「CGで水はとても難しいですが、火は比較的簡単です。重要なのは、火が象徴する“意味”。火は憎しみと暴力、灰は悲嘆を表しています」
最新作には、火山の噴火によってすべてを奪われた灰の一族“アッシュ族”が登場する。かつてはジェイクたちと同じように自然と共に生きていたが、自然災害によって愛する故郷も、築き上げてきたすべてが灰と化した。自然と共存していると思っていた彼らは、結果として自然に裏切られたと感じている。
生活習慣や文化、価値観のすべてを捨て、新たな道を歩み始めたアッシュ族。彼らは灰と水を混ぜたものを全身に塗っているが、それは喪の印でもある。そして、悲しみを“武器化”していく。
「『憎しみの火は、悲しみの灰しか残さない』という言葉どおり、悲しみが憎しみに変わり、また暴力を生む。この循環は、現実世界でも繰り返されています。映画は、その連鎖をどう断ち切るのかを問いかけています」
■武器をどう描くのか――簡単な答えはない
「ターミネーター」シリーズでAI時代を予見する緊迫のドラマを描いてきたキャメロン監督は、ミリタリーオタクとしても知られ、銃への造詣が深い。『ターミネーター』では銃店の店主と改造を協議し、『ランボー/怒りの脱出』では銃火器描写にも関わった。
「今の時代、銃暴力を肯定する映画を作るのは非常に難しい。現実には、あまりにも多くの悲劇があるからです」
一方で、ジェイクは元海兵隊員。戦うことが仕事であり、家族を守るための手段でもある。
「アッシュ族は銃を“力”として欲しがる。それは植民地時代にも起きたことです。一方で、トゥルクン(パンドラに生息するクジラのような海洋生物)は完全な平和主義者。ただし、母を殺されたパヤカンは戦う」
侵略としての戦争と、守るための戦い。その境界線に、明確な答えはない。
「ネイティリは『全員殺せ』と口にする。しかし、彼女はその憎しみと向き合わなければならなくなる。この映画は、人がこうした道徳的な迷路をどう進むのかを描いています」
世界を席巻してきた「アバター」シリーズ。その第一章の終着点として描かれる『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は、壮大な映像体験であると同時に、観る者自身に問いを投げかける物語でもある。
インタビューの時間が終わると、キャメロン監督は「お話しできてよかった。観てくれてありがとう。また会いましょう」と笑顔で語っていた。











