
【音楽】
GPP、SM ENTERTAINMENT JAPAN の第1号ガールズグループが挑む 限界突破のパフォーマンスと歌の融合【インタビュー】
SM ENTERTAINMENT JAPANから第1号デビューを飾ったガールズグループ「GPP」(ジーピーピー)が、12月16日にデジタルシングルをリリースし、2026年1月14日にはCDシングル「Bring it Back」をリリースする。グループ名のGPPは、「G=限界突破」と「PP=Paper Plane(紙飛行機)」を意味した言葉で、メンバーは、オーディション番組出身者、トップダンサー、女優、モデルなど多岐にわたるバックボーンを持つ平均年齢21歳の日本人8名で構成されている。オリコンニュース初登場となる大注目のガールズグループGPPに、「限界突破」となったターニングポイントからプライベート、そしてデビュー曲「Bring it Back」について聞いた。
【写真20点】スタイリッシュな衣装に身を包んだGPP全身ソロショット
■メンバーが語る「限界突破」したターニングポイント
――初登場となりますので、自己紹介を兼ねてそれぞれの「限界突破」となったターニングポイントを教えてください。
【ANAMI】私の最初のターニングポイントはまず、アメリカの高校に留学したこと。そして、高校から大学に入るまでの期間に、韓国へ留学したこと。この2つの留学は、私にとって貴重な経験になりました。1人で新しい世界に飛び出すという経験がなかったら、私はこのグループに入れていなかったんじゃないかな? 挑戦をしたことで、たくさんの挫折を経験して、限界を突破できた。1人で戦って新しい環境で自立できたことが今の私につながっています。
――アメリカ留学は、英語を覚えたいという気持ちからですか。
【ANAMI】「違う世界に出てみたい」という気持ちからです。もちろん英語を学びたいというのもありましたが、新しい文化の中で自分にどんな一面があるのかを知りたくて。韓国留学も、日本と同じアジアだけれど、韓国にはどんな文化があるのかなという興味と、韓国のダンスカルチャーが好きだったので、ダンスを学びたくて1人で行きました。
――1人で寂しくなったりはしませんでしたか。
【ANAMI】すごく寂しくなる時もありましたが、それよりも多くのことを学びたい、新しいことをどんどんやっていきたいという意欲があったので、大丈夫でした。チャレンジャー気質なんです(笑)。そのおかげで苦労もしましたが、限界を突破して、このプロジェクトに参加できています。
【MIKA】私は小学校6年生、12歳の時に初めてダンスの世界大会にチームで参加したことが限界突破のターニングポイントです。小さい頃からダンスをやってきましたが、それが初めての大舞台でした。練習が本当にきつくて…。まだまだ遊びたい時期の小学生なのに、放課後は家に帰らず、両親に車で都内の練習場まで送ってもらって遅くまで練習する生活を毎日送っていました。筋トレや基礎練習から始まり、大会の振り付け練習まで。チームの最年長は高校生で、小学生の私は最年少だったので、ついていくのに必死でした。でもチームだからこそ、協調性も学べたし、人間性もすごく成長できたと思います。小6から高1までそのチームに所属して、世界大会に臨んだ経験があったから、今、つらいことがあっても「あれを乗り越えられた自分ならできる」という自信を持てているんだと思います。
――小学生と高校生が一緒のチームでやるのは、大変だったでしょうね。一番きつかったのはやはり小学生の時ですか。
【MIKA】はい。とにかく、ついていくのに必死でした。最初は右も左も分からない状況でしたが、歳を重ねるにつれてチームを引っ張っていく立場になり余裕ができると、日本とまた違う刺激があるアメリカでの大会に出場してスキルアップすることができたと思います。
【MIA】私は2020年頃からオンラインでダンスを習い始めました。当時はコロナ禍のロックダウン中で、学校の勉強もダンスクラスもオーディションもオンラインで受けていました。あるオーディションで8ヶ月ほどかけて最終審査まで進み、進学が決まっていた大学も辞退して全てを賭けて頑張っていたのですが、最後の最後で落ちてしまって…。夢も大学生活も、すべてを失ってしまった時が私のターニングポイントでした。
――そこから、どのように切り替えていったのですか。
【MIA】「絶対に、アーティストになる!」と決意して、頑張ると決めたんです。一度全てを失ったからこそ、いろいろなことに挑戦する決意が生まれたのだと思います。夢を叶えるまで絶対に諦めないと決めたから日本に引っ越す決意も持てた。バイトでお金を貯めて韓国にも行けました。一度ゼロになったからできたことだと思います。
【SARA】私は高校生の時に「これを最後にしよう」と決めていたオーディションで最終審査まで行けたのですが、コロナ禍でそのオーディションがなくなってしまったんです。ちょうど大学に入るタイミングだったので、一度そこで夢を手放してしまいました。大学に入学して留学もしたけれど、そのおかげで自分の本当にやりたいことが再確認できた。一度違う道に進んだ経験がターニングポイントになったと思います。
【MOMOKA】私には、ターニングポイントが2つあります。1つ目は、静岡から芸能活動をするために、親元を離れて東京の高校へ入学すると決めたこと。地元の進学校から大学へ行くことも考えていましたが、「将来は芸能活動一本でいく」と決断しました。もう1つは、「GPPプロジェクトに挑戦しよう」と思った時です。1人で東京で頑張ってきましたが、自分の限界を感じて、芸能活動を辞めると決めて、アルバイトをしたり就職も考えたりした時期がありました。でも、ずっと諦めきれない気持ちがあって…。夢が消えて空っぽになったころで「GPPプロジェクト」と出会って、「本当にやりたいことに、もう一度挑戦してみよう」と自分の殻を破ったのが第2のターニングポイントです。
【HONOKA】私のターニングポイントは、新しい道に踏み出す決断ができたことです。このプロジェクトに入る前に、2年ほどボーカルグループに所属していました。ボーカルだけでなくダンスをやりたいという気持ちが強くなっていって、離れる決断をしました。すごく悩んだのですが、なぜかポジティブな運命のようなものを感じたんです。その決断があったからこそ、GPPのメンバーと出会えて、こうしてデビューすることができました。
【LUNA】私は中学生のころからモデル活動をしていました。TGCのオーディションを受けることになり、レッスン、ダイエット、受験勉強と、人生で一番努力して出場を勝ち取ることができました。でもパンデミックで出場できなくなり、活動休止するくらい落ち込んでしまって…。でもどん底にいたその期間に、音楽を聴くことで勇気をもらったんです。そして、「私も音楽を通して人に希望や勇気を与えられる存在になりたい」と思いました。辛い経験でしたが、それがあったからこそ自分の進むべき未来が見つかりました。
――歌やダンスは以前からやっていたのですか。
【LUNA】ダンスは中学校の時に始めて、歌はこのプロジェクトに入ってから始めました。でも、「努力すれば絶対にできる」と思っていたので、怖い気持ちはなくて、すごく楽しい気持ちで歌に挑戦できました。
【RINKA】私は小学生の頃から歌とダンスをやっていて、中学2年から高校2年まで日本の事務所の練習生をしていました。その延長で高校2年の時に、韓国のオーディション番組に参加しました。初めて日本を出て韓国へ行き、違う国の子たちと一緒に生活することも刺激になりましたが、何よりも自分の存在をたくさんの人に知ってもらえたのが嬉しくて。海外の方が自分を応援してくれるなんて、考えてなかったから。そこで自分の心に火がついて、高校も辞めて夢だけに集中しようと決めました。これが私のターニングポイントです。
――韓国のオーディション番組は、とても大変だったのではないですか。
【RINKA】大変でした。まず、言語が全然分からなかったです(笑)。でも逆に、言語が分からないからこそお互いが支え合って、同じ夢を持つ仲間たちと高め合えたのかもしれません。すごく素敵な経験ができたと思っています。
■メンバーが最近ハマっていること大公開! 雑貨からジムまで
――等身大の皆さんのことも知りたいので、最近ハマっている趣味など、プライベートなことを教えてください。
【SARA】私は雑貨集めが好きで、ノートやシールを探すことにハマっています。ノートは6~7冊を同時に使い分けていて、名言を書くノート、自分を知るノート、日記など、ジャンルに分けて使っています。あとは映画鑑賞も好きで、最近はホラー映画と恋愛映画をよく観ています。
【ANAMI】私は元々運動が得意なのですが、みんなでダイエット目的に通い始めたジムが習慣になって、もはや運動しな
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