鹿児島銘菓ボンタンアメが100周年

 誕生から100周年を迎えたボンタンアメ
 誕生から100周年を迎えたボンタンアメ


鹿児島の銘菓「ボンタンアメ」が誕生から100周年を迎えた。太平洋戦争下の製造中止を乗り越えロングセラーになった秘訣は、時代や流行に左右されないお菓子を目指した販売戦略にある。製造販売を手がけるセイカ食品(鹿児島市)の玉川浩一郎社長(59)は「アニメ『サザエさん』のように懐かしさを覚え、長く愛される商品でありたい」と話す。
鹿児島特産のかんきつ類「ボンタン」の風味がほんのり香り、食感はもっちり―。そんなボンタンアメが生まれたのは日本でラジオ放送が始まった1925年。初代社長の玉川壮次郎氏が、求肥でできた熊本銘菓「朝鮮アメ」をはさみで切って遊ぶ従業員を見てひらめいた。当時は会社の経営が思わしくなく、起死回生の新商品だった。
1928年には払い下げの軍用機を買って、空からボンタンアメをまくとっぴな宣伝を計画。新聞で話題となったが、不景気で金の工面がつかず実現しなかった。壮次郎氏は「あれだけ世間が騒いでくれたから飛んだも同じだ」と笑い飛ばしたという。太平洋戦争のあおりで砂糖が手に入らなくなり、製造中止に追い込まれたが、朝鮮戦争特需に沸いた1950年に製造を再開した。
戦後、鉄道輸送網の発達で全国区になった。「駅にだんだん置いてもらえるようになり、郷愁を感じた九州出身者が『これ、知っている』と買ってくれた」(浩一郎社長)。家族や親族が上京した若者の仕送りにしのばせたこともあり、性別や年齢を問わないなじみの客を獲得していった。
ロングセラーになったのは派手な宣伝を打たず、人気のピークを作らない販売方針を貫いたことにあるという。浩一郎社長はボンタンアメの最大の強みが顧客層の広さだと説明し「1年に1個でも10年に1個でもいい。たまに食べてもらえるお菓子を目指してきた」と誇らしげに語る。
ボンタンアメの製法や箱のデザインは発売当初とほぼ変わらない。独特の食感がある生地は今も従業員が手触りで確認している。浩一郎社長は次の100年についてこう語る。「東北や北海道はまだアピールの余地がある。『これ、おいしいね』って言ってもらえる存在であり続けたい」
(共同)

最近の記事

茨城の求人情報