紫雲丸事故70年、各地で追悼



1955年、旧国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が高松市沖で沈没し、乗客の小中学生ら168人が犠牲となった事故から11日で70年となり、修学旅行生が犠牲になった高知と愛媛の学校で追悼行事が行われた。
生徒28人が亡くなった高知市立南海中では遺族や在校生ら計約220人が黙とうした。広瀬啓二校長は、南海中のプールで昨年、水泳授業中の市立長浜小児童が溺れて死亡した事故に触れ「幼く尊い命が失われた二つの事故を教訓として、安心・安全な学校づくりに努める」と唇をかんだ。
児童ら30人が亡くなった愛媛県西条市立庄内小での行事には、全校児童約60人と地元住民ら計約150人が参加し、校内の慰霊碑「みたまの塔」に千羽鶴や花束をささげた。
生存者黒河稔さん(81)=西条市=があいさつに立ち、船体が傾く中、救助具を配った同級生2人のうち1人が命を落としたと紹介。「友のために配った2人を心から尊敬しているし、庄内小の誇りだ」と児童たちに語りかけた。
紫雲丸は55年5月11日早朝、濃霧の中で貨物船と衝突、沈没した。
(共同)

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