体温計の国産化志したのが「テルモ」の始まり
「テルモ」は国産体温計の製造販売を目指し、医学界の重鎮だった北里柴三郎ら医師や学者が発起人となって1921年に設立した「赤線検温器」にルーツがある。現在の東京都墨田区で町工場を営んでいた技術者、竹内英二が良質な体温計の開発に成功。相談を受けた医師の笹川三男三が音頭を取って、仲間とともに竹内の体温計の製品化を後押しする構想が動き出した。(共同通信=出井隆裕記者)
第1次世界大戦で体温計の輸入が途絶えたため国産化の機運が高まっていた。竹内は温度が読み取りにくい輸入品の欠点を克服。賛同した森下仁丹の創業者が販売を引き受け、公募で「仁丹の体温計」の名称を付けた。
太平洋戦争後は医療機器メーカーへの道のりを歩む。1960年代に再使用による感染症のリスクをなくすため国産初の使い切り注射器を発売。1970年代の人工臓器分野への進出などで礎を固めた。
1999年に米化学メーカーの人工心肺事業を買収。その後も外国企業の買収を重ねてグローバル化を推進し、現在は売り上げの8割が海外だ。2024年度に連結売上高が初めて1兆円を突破した。
(共同)












