次の記事:常磐道で速度違反、身代わり出頭させる レーサーら逮捕

センバツ敗退 常総学院・松林部長、生徒の成長に期待「いい経験、財産になった」

中京大中京戦前のノックを行う常総学院の松林康徳部長=甲子園、吉田雅宏撮影
中京大中京戦前のノックを行う常総学院の松林康徳部長=甲子園、吉田雅宏撮影


27日、選抜高校野球大会第8日の第3試合前、常総学院部長の松林康徳さん(35)が、マスク姿で外野に向けてノックを打ち始めた。2003年夏の全国制覇時の主将。甲子園で成長した実感を今の高校生に伝えたく、母校で指導者の道を歩んでいる。この日は大敗し、日本一はならなかったが、試合後、松林さんは「生徒たちもいい経験ができたと思うし、財産になったはずだ」とこれからの成長に期待した。

大学卒業後、中学生時代から志した教師となり、母校に戻った。コーチを経て、16年から部長。甲子園で部長としてベンチに入るのは今春が初めてだ。これまで何度も甲子園に訪れているが、「毎回違う色というか、雰囲気があって、『また来られて良かった』と思う」と感慨深げに語った。

選手の頃から「チームの一翼を担う」ことを大切にしてきた。「それぞれ、その時ごとに役割があって、自分にしかできない振る舞いがある」。高3の春の県大会では、背番号「19」だったが、夏は主将で4番。そうした努力の経験も、生徒たちに伝える言葉に厚みを増す。

昨年から続くコロナ禍での部活動は緊張感の連続だった。「この状況下で野球をやっていてもいいのか」と葛藤する時もあった。しかし今春、選抜大会出場を決めた時には「野球部関係者だけでなく、一般生徒たちら多くの人が喜んでくれたことがうれしかった」。応援の重みを感じ、試合を見た人たちに、元気や勇気を与える戦いをしていくことに大きな意義を見いだした。

「甲子園ほど人間教育できる場所はない」。昨年11月に89歳で亡くなった恩師・木内幸男さんの言葉だ。「多くの人の応援や支えを感じながら、それに感謝し、自分たちだけで野球をやっているわけではないことを認識してほしい」と願う。自分を成長させてくれた甲子園。教師となり、自分自身が得た経験を球児たちに伝えるチャンスをもらった。目指すチーム像は「応援されるチーム」。メンバーの一人としてその組織づくりを進めている。

2003年夏のウイニングボールは木内さんの葬儀後、遺族の意向で松林さんの手に戻った。「いつかあの経験を生徒たちにも」と思っている。

今大会の敗退が決まり、「2試合で5試合分を戦ったような感覚。生徒たちも得るものが多かったと思う」と振り返った。託された教えと思いを胸に、同じく教え子で先輩の島田直也監督(51)を支え、さらにチームを成長させ、夏の甲子園に戻ってくる決意を固くした。

最近の記事

茨城の求人情報

全国・世界のニュース