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新選組参謀・伊東甲子太郎の記念碑除幕 茨城・かすみがうら

地元有志によって建立、除幕された伊東甲子太郎生誕の地記念碑と説明板=かすみがうら市中志筑
地元有志によって建立、除幕された伊東甲子太郎生誕の地記念碑と説明板=かすみがうら市中志筑


■生誕の地アピール

旧中志筑村(現茨城県かすみがうら市)出身で幕末の新選組参謀だった伊東甲子太郎(かしたろう)(1835~67年)の生誕の地を多くの人に知ってもらおうと、地元有志が建立した「生誕の地」記念碑の除幕式が11日、同市中志筑で開かれた。2019年に生家の場所が古文書の絵図で確認されたことを受けて設置。有志は「新選組や歴史の愛好家に巡ってもらえれば」と期待を込める。

記念碑を建てたのは、地区の住民有志16人でつくる「中志筑史源保全の会」(瀧ケ崎洋之会長)。

記念碑は石製で台座を含め高さ174センチ。碑文は「伊東甲子太郎生誕の地」とした。併せて甲子太郎の肖像画や絵図、歴史を記した説明板も立てた。費用は記念碑と説明板合わせて約37万円。市のまちづくり交付金などを活用し、地域内の生誕の地までの道案内板は住民の寄付で賄った。

除幕式には同会の会員ら約20人が出席。瀧ケ崎会長は「甲子太郎や歴史ファンが見学に来て往時をしのんでもらうきっかけになれば」と語った。絵図を解読した市歴史博物館の千葉隆司館長は「資源を生かして地域おこしをできることをうれしく思う。観光やまちづくりにも活用してほしい」と期待した。

甲子太郎生誕の地が分かる古文書の絵図は19年10月に旧家から発見。志筑領の城下町の配置図が描かれ、父の鈴木三四郎の名前が記されている。文政11(1828)年から天保5~6(34~35)年ごろに描かれ、甲子太郎は天保8年の2歳ごろまで生誕地にいたとみられている。

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