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茨城・笠間の旧筑波海軍航空隊施設 地下室 建造時の姿確認

かまぼこ形天井の地下室に立つ金沢大介館長=笠間市旭町の筑波海軍航空隊旧司令部庁舎の北側エリア
かまぼこ形天井の地下室に立つ金沢大介館長=笠間市旭町の筑波海軍航空隊旧司令部庁舎の北側エリア


■記念館「調べ上げ、継承へ」

茨城県笠間市旭町の筑波海軍航空隊旧司令部庁舎周囲に存在する地下通路の全容を把握するため、筑波海軍航空隊記念館と筑波大の共同調査が進んでいる。調査の柱となるのが、庁舎北側に埋まる地下室の掘り出し。これまでの調べで、建造時の形状などをほぼ残していることが分かった。30日、自ら作業に携わった金沢大介館長(51)は「70年の時を経て姿を確認できたことは大きな成果。きちんと調べ上げ、継承していきたい」と力を込めた。

調査は、戦争遺構の旧司令部庁舎の全容を明らかにするため、庁舎を管理する市が監修し、庁舎北側を中心に今月9日に始まった。同エリアには、地下通路の関連施設となる地下室が埋まっており、土日に重機や人力による掘り出し作業が行われている。

これまでの調査で、地下室には二つの入り口があることなど内部の状況が確認された。天井はかまぼこ形にアーチを描き、室内の中央には仕切り壁が設けられていた。壁や天井には部材として大谷石が使われていた。空間の高さは、アーチの頂点部分で約2・2メートル。床面は長方形で縦約8・3メートル、横約4メートルであることが分かった。

記念館によると、地下室は、庁舎が攻撃を受けた際の待避壕(ごう)として造られたとされる。仕切り壁にはさまざまな目的が考えられ、その一つが爆風被害の防止と推測される。このほか、地下室内や入り口付近の残土からは、航空機のエンジンプラグや海軍士官用の食器などが出土した。

終戦時(1945年)に旧基地で機関兵として働いていた川原清さん(93)=城里町出身、埼玉県在住=は「地下通路や地下室の存在は知らなかった。本土決戦に備えて、軍は秘密裏に造っていたのではないか」と思いを巡らせ、「戦争の歴史を伝える施設としてきちんと保存してほしい」と願った。

週末に行われる掘り出し作業には、青森や大阪など、県内外から20~70代のボランティアが集まっている。戦跡愛好家だけでなく、親族が筑波海軍航空隊に関わっていたという理由で参加しているという。金沢館長は「多くの支えに感謝するとともに、調査の重みを感じている。ぜひ成果を出したい」と意欲を示した。

調査は来月末まで行われる。



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