次の記事:洗濯機に水入れふた 3歳女児を回す 殺人未遂容疑で男送検 複数の打撲痕

Jリーグ30年 ジーコ氏、日本の進化「早い」 国内底上げ代表充実へ

復刻版のユニホームを手に笑顔を見せるジーコ氏=鹿嶋市粟生
復刻版のユニホームを手に笑顔を見せるジーコ氏=鹿嶋市粟生


1993年5月15日に開幕したサッカーのJリーグは、まもなく30周年を迎える。J1鹿島アントラーズの礎を築いたジーコ氏は日本サッカーの発展に尽力し、Jリーグや鹿島を取り巻く環境は時代の流れとともに変化した。草創期を彩ったジーコ氏がJリーグ30年を振り返るとともに、さらなる飛躍への鍵を語った。

「私が思っていたより、とても早く進化した」。日本サッカーの成長に目を見張る。1991年に来日した当初、自宅のある東京と鹿島町(当時)を行き来する生活だった。自宅周辺にはサッカーができる環境はなく、「練習場所といったら、野球場ぐらいしかなかった」と笑みを浮かべて当時を振り返る。

Jリーグの歴史30年間で、プロスポーツとしてのサッカーが成り立ち、人々の関心が高まり、幅広い層がプレーする環境は整備された。「サッカーというものが日本国内で浸透し、参加人口が増えたからこそ、発展も早かった」。Jリーグの発展は代表チームの強化にもつながり、ワールドカップ(W杯)でも海外の強豪と渡り合えるようになった。

ただ、着実な進化を遂げてきたJリーグだが、新たな問題も浮上している。「若手選手の欧州への流出」だ。結果を残した選手は欧州に活躍の場を移す。鹿島の選手も次々と欧州へ活躍の場を移している。継続的な強化を図ることは難しくなった。「伝統の継承が難しくなっている」。安定したクラブ強化が図れない実情を懸念する。

さらに、今後の発展の鍵として、育成組織充実の重要性を説く。「自分たちの国のリーグで選手が育たないということは、スポンサーが取りづらくなり、サポーターも減ってしまうということ」。現状の流れが加速すれば、リーグの魅力が損なわれる。育成組織からトップチームでプレーする選手が次々と供給される循環が理想だという。

世界的名手としてその名をとどろかせたジーコ氏。日本サッカーの次の30年の役割は「W杯の決勝に行くこと」と断言する。代表チームの強化のためには国内リーグの強化が必要。「各クラブの育成組織がしっかりとJリーグと協力し、良い選手を次々と輩出していくことが重要。国内で戦う選手の底上げとレベルアップを図らないといけない」と指摘した。




【PR】私が触れた「マジック」-木内幸男さんをしのんで (電子書籍)

最近の記事

茨城の求人情報

全国・世界のニュース