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牛久沼うなぎ店苦境 浸水で休業、茨城・龍ケ崎「伊勢屋」 4代目店主、支援届かず「干上がる」

うなぎ店を襲った浸水について説明する鈴木哲さん=龍ケ崎市稗柄町
うなぎ店を襲った浸水について説明する鈴木哲さん=龍ケ崎市稗柄町


6月初めの大雨で85年ぶりに越水した茨城県龍ケ崎市の牛久沼。ほとりにある老舗うなぎ店は今も休業を余儀なくされている。床上浸水に遭い、かば焼き機を含む商売道具は使えなくなり、再開か廃業かの決断もままならない。いつもなら繁盛する土用の丑(うし)の日(30日)を前に、店主は途方に暮れている。

「やり直すのにも、やめるのにもお金がかかる」

牛久沼に面した龍ケ崎市稗柄(ひえがら)町の「伊勢屋」。4代目店主の鈴木哲さん(59)は窮状を訴える。

調理に当たっていた6月3日午前、店内に水が押し寄せてきた。冷蔵庫や冷凍庫は壊れ、肝心のかば焼き機は火花を散らして故障した。重箱など備品の多くを処分。継ぎ足してきた秘伝のたれもわずかな量が残るだけだ。自宅兼店舗は「準半壊」に認定され、店舗1階は成人男性の腰の高さまで水に漬かった。

店を開けない状態となり、1カ月が過ぎた。事情を知らない客は、休業を伝える張り紙を見て帰っていく。鈴木さんは「せっかく来てくれたのに、何もできないのが情けない」と肩を落とす。

牛久沼は、真偽は不明ながらも「うな丼発祥の地」と呼ばれる。

同店は1902年に創業し、70年ほど前に現在の場所に移った。鈴木さんが職人となってから約40年。今年1月には先代店主で父の惇(まこと)さんが83歳で亡くなり、のれんを受け継いだばかりだった。

土用の丑の日前後が一番の書き入れ時で、例年200~300人が訪れていたという同店。ピークを見据え、コロナ禍で迫られた営業時間短縮などの制限を見直そうとしていた矢先の被害で、収入は途絶えた。

市内での被害は、牛久沼付近を中心に床上浸水が3件、床下浸水が21件。600棟近くが浸水した隣の取手市と異なり、災害救助法などの適用はなかった。「ほったらかしにされていないか」。実感は日に日に強まる。

牛久沼の越水は1938年以来。今回の越水を巡っては、店の真横にあり、県などが管理する水門「八間堰(はっけんぜき)」が大雨時、改修工事中で矢板で水をせき止めていたり、国が牛久沼に設置する水位計の表示に不具合が生じたりしたことが明らかになっている。県は8月にも、越水の原因などを調べる検証委員会を設置し、年度内に結果をまとめる方針だ。

「それぞれに立場はあるだろう。ただ、被災者には関係がないこと。向き合ってほしい」。鈴木さんはそう語り、「待っているだけでは干上がってしまう」と危機感を募らせる。



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