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茨城・下妻で飯村丈三郎シンポ 飯田軍蔵との関わり解説 幕末志士 研究会が最新報告

飯田軍蔵と飯村丈三郎の関わりについて報告する、茨城高の加倉井東教諭=下妻市砂沼新田
飯田軍蔵と飯村丈三郎の関わりについて報告する、茨城高の加倉井東教諭=下妻市砂沼新田


茨城県の近代化と発展に寄与した下妻市出身の実業家・飯村丈三郎(1853~1927年)を顕彰するシンポジウムが6日、下妻市立図書館で開かれた。尊王攘夷(じょうい)の天狗党に参加し、波乱の人生を送った幕末の志士・飯田軍蔵利貞(1832~64年)と飯村の関わりをテーマに、飯村丈三郎研究会のメンバー2人が最新研究を報告した。

飯村は、明治から昭和初期にかけ、茨城新聞社の2代目社長を務めたほか、県内外の政治、経済、教育などの発展に多くの功績を残した。シンポには、茨城高の加倉井東教諭と元県立歴史館行政資料室長の川俣正英氏がそれぞれ登壇した。

加倉井教諭は、4月に市ふるさと博物館(同市長塚乙)で展示された民間所蔵の歴史資料を基に、軍蔵と飯村の関係を解説した。展示品の一つ、鹿島桜巷の連載「忠君烈士飯田軍蔵」=1918年7~9月に茨城新聞掲載・全45回分=の切り抜きの巻物と飯村の添え状は「茨城新聞社にも残っていない貴重な資料が発見された」と、希少価値を強調した。また、鹿島桜巷の取材源は軍蔵の友人、薄井龍之だったことも紹介された。

川俣氏は、千妙寺(筑西市黒子)に建立された軍蔵の顕彰碑について解説した。軍蔵の死後、次女の飯田古宇(1864~1945年)が顕彰に奔走し「(顕彰碑は)真壁郡の住民1822人と茨城新聞社の社員が中心となり、寄付して建てられた。下館停車場の広沢旅館で碑建立の会合が行われた」と説明した。

シンポは、7月23日に水戸生涯学習センター(水戸市三の丸)でも開かれ、久信田喜一茨城地方史研究会長、小泉晋弥県天心記念五浦美術館長が飯村の業績を紹介した。

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