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田中正造、直筆の書 茨城・取手市に寄贈 先祖接点の桜井さん

田中正造直筆の書を寄贈した桜井由子さん(右)=取手市役所
田中正造直筆の書を寄贈した桜井由子さん(右)=取手市役所


■足尾鉱毒問題解決 衆院議員当時、利根川を調査

足尾銅山の鉱毒問題解決に一生をささげた明治期の政治家、田中正造(1841~1913年)直筆の短歌の掛け軸が茨城県取手市に寄贈された。寄贈した市内の桜井家は、先祖が田中と接点があったとされる。同市は「取手の歴史にかかわる貴重な資料」として、埋蔵文化財センターで保管する。

田中は下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市)出身。日本初の公害事件とされる足尾鉱毒問題に生涯をかけて取り組んだ。

市教委によると、当時衆院議員だった田中が利根川下流域の取手近辺まで調査に訪れ、世話になった桜井家に贈ったと推察される。時期は1891(明治24)年以降と考えられるが、詳しくは分かっていない。

数年前に田中正造記念館(群馬県館林市)が真筆と確認した。「為櫻井君」とあるのは、桜井家で北相馬郡会議員を務めた桜井道之助に当たるという。

「虐げの あとハ毒より はけしけり 馬にくわする 民草もなし」と詠まれている。大意は「国民を虐げる政治の結果は毒よりも激しいものがある。馬に食わせる草もなく、住民もいなくなるありさまである」。力強い筆跡に、田中の怒りと嘆きが込められている。

贈呈式は8月31日、市役所で行われ、代表して桜井由子さん(60)が中村修市長に手渡した。桜井さんは「取手市は川のまち。渡良瀬ともゆかりがある。個人の家にあるよりも市の資料になってもらえれば」と話した。中村市長は「(田中正造が)取手にゆかりがあったと分かる貴重な資料。大事にしたい」と感謝した。



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