《東日本大震災13年》茨城に避難の脇坂さん 「浪江」への思いを歌に 「勇気届けたい」
■独学で作詞作曲 25曲
東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県浪江町から茨城県水戸市に避難した脇坂明さん(89)が独学で作詞作曲し、古里への思いなどを歌にしてCDにまとめた。社交ダンスで培ったリズム感を生かして制作した25曲の一部はYouTube(ユーチューブ)で公開。3月で原発事故から13年を迎える中、同郷の避難者を気遣い「歌を通じて、逆境に立ち向かう勇気を届けたい」とエールを送る。
脇坂さんは福島県南相馬市出身。高校卒業後は茨城県などで銀行マンとして活躍し、浪江町の自宅で妻とリタイア生活を送っていたが、2011年3月に東日本大震災と原発事故が発生。自宅倒壊は免れたものの町外退避を余儀なくされ、知人の多い水戸市へ移住した。現在は市内の高齢者住宅で暮らしている。
古里を離れて間もなく13年を迎える。胸に募るのは望郷の思いだ。
同町は事故で町内全域に避難指示が出され、町民約2万1000人が全国各地へ避難した。除染やインフラ復旧を進めた結果、一部で避難指示が解除されたが、現在も多くの町民が同県内外で避難生活を送っている。
「帰りたいが、家の周囲は原野のように荒れ果て、知り合いは誰も住んでいない」。脳裏に浮かんでくるのは、町の美しい海辺や河川、阿武隈の山々。戻れないなら「思いを歌にしよう」と決心し、15年ごろから詞をつづり始めた。
作曲では、自身が40代で始めた社交ダンスで培ったリズム感を生かした。社交ダンスは退職直前の54歳でプロになり、同町に戻る前は水戸市でダンス教室も開講するなど、誰もが認める腕前。タンゴやワルツなど、体に染み付いた多彩なリズムを曲に盛り込み、友人の助けを借りながら小型キーボードで構想を練ったという。
作品を2枚組CDに収め、昨年秋に完成した。楽曲には長年連れ添い、脳梗塞を患った妻(87)への感謝、愛情も表現。作品の一つ「帰郷」では、「ふるさと浪江 帰りました あの遠い日の あの震災から こころ安まるこの街へ 若鮎だって鮭ノヨだって ふるさとの川へと帰ります 帰ります」など、150キロ離れた古里に抱く郷愁をつづった。
脇坂さんは「音楽は素人だが、社交ダンスで培ったリズム感、友人の励ましで完成できた」と笑顔。作品づくりで逆境を乗り越える力も与えられたといい、「全国で避難生活を送る浪江の人たちに元気を届けられれば」と力を込める。
楽曲の一部は、ユーチューブで試聴できる。主なURLはhttps://www.youtube.com/watch?v=Y38UTaCCVX8