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茨城・常陸太田の卸売市場 新鮮作物 届けて71年 組合員減 30日、最後のせり

地元の農産物のせりが行われる常陸太田青果食品地方卸売市場=常陸太田市山下町
地元の農産物のせりが行われる常陸太田青果食品地方卸売市場=常陸太田市山下町


茨城県常陸太田市周辺の農産物を取り扱う同市山下町の「常陸太田青果食品地方卸売市場」が今月末で営業を終える。流通や販売形態の変化による売上高の減少が続き、出荷農家や組合員数の減少と、それぞれの担い手の高齢化などが要因という。地域の安くて新鮮な農産物を提供してきた市場は惜しまれつつ、30日に最後のせりが行われ、71年の歴史に幕を下ろす。

同市場を運営する「太田地方青果綜(そう)合食品協同組合」(諸沢正弥理事長)の正式な設立は1953年で、当時の市場は同市の鯨ケ丘商店街にあった。同商店街の別の場所でも開き、63年に現在地に移転して営業を続けてきた。

最盛期には出荷農家が300人を超え、組合員も約50人いた。現在の出荷農家の登録は約100人だが、常時出荷しているのは20人程度で、季節の農産物を出荷する農家が大半を占める。組合員も約30人まで減少。常時せりに参加するのは10人ほどになっている。以前は長さ約50メートルのスペースに、出荷された野菜や果物を置く区画が30以上あり、「せり」を行うセリ人が3人で指や声で取引を成立させていた。

セリ人も務める同組合の池田靖夫専務理事は「発足当時は神社の境内の狭い場所で八百屋さん10人くらいでやっていた。少しずつ生産者からの信頼を得られるようになって盛んになっていった」と振り返る。営業終了について「誰のせいでもない。社会全体の流れだよ」と目を細める。

市場は水、日曜日以外に開く。8日のせりでは9人が集まり、せり前に出荷物を見て回った。午前8時の合図で厳しいやりとりが始まったが、長い付き合いで生まれた温かい雰囲気も漂っていた。

20年以上通う同市久米町の全日食チェーン金砂郷店の吉成達朗社長は「地元で取れたての新鮮な農産物が手に入るので助かっていた。雰囲気もよく、ちょっと寂しい」と惜しむ。

組合の解散については10年ほど前から出ていた。諸沢理事長はじめ役員らが手弁当で維持してきたが、昨年5月の総会で解散を正式に決定した。

諸沢理事長は「地元の新鮮でお買い得の農産物は、その店の特徴になった。農家や地元住民への還元にもつながるとの思いで頑張ってきた」と胸中を披露した。「初荷の時の野菜の宝船などが晴れやかな気持ちになった思い出。営業終了の実感はまだないが、いくつもの理由があってのことで仕方がないこと」と静かに話した。

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