映画「風と共に去りぬ」のラストシーンで、全てを失い悲嘆する主人公スカーレットは故郷に戻ってやり直そうと決意し、こうつぶやく。「トゥモロー・イズ・アナザー・ディ」
▼直訳すれば「明日は別の日」。マーガレット・ミッチェル著の同名小説中のこのせりふを、戦後翻訳界の第一人者で八千代町出身の大久保康雄さん(1905~87年)は初訳版で「明日はまた明日の陽が照るのだ」と訳した
▼これに対し劇作家の菊田一夫さんは「明日は明日の風が吹く」と訳し、「明日はまた明日の日が明ける」とした翻訳版もある。最近の映画の字幕は「また明日が来るんだもん」
▼原文は同じでも邦訳はまるで別もの。誰がどう使うかでせりふのニュアンスはまるで違ってくる
▼誰が使うかで扱いが違うのはお金も同じ。使うのが政治家なると、寄付であれパーティー収入であれ「政治資金」に〝翻訳〟され、非課税扱いで使途は無制限。所属政党から議員個人に配分される支給金に至っては「政策活動費」と〝翻訳〟され、使途を明らかにする義務さえない
▼こんな浮世離れした〈訳語〉が一連の裏金問題の温床になったのは想像に難くない。政治への信頼が「カネと共に去りぬ」になってはしゃれにならない。(敏)
▼直訳すれば「明日は別の日」。マーガレット・ミッチェル著の同名小説中のこのせりふを、戦後翻訳界の第一人者で八千代町出身の大久保康雄さん(1905~87年)は初訳版で「明日はまた明日の陽が照るのだ」と訳した
▼これに対し劇作家の菊田一夫さんは「明日は明日の風が吹く」と訳し、「明日はまた明日の日が明ける」とした翻訳版もある。最近の映画の字幕は「また明日が来るんだもん」
▼原文は同じでも邦訳はまるで別もの。誰がどう使うかでせりふのニュアンスはまるで違ってくる
▼誰が使うかで扱いが違うのはお金も同じ。使うのが政治家なると、寄付であれパーティー収入であれ「政治資金」に〝翻訳〟され、非課税扱いで使途は無制限。所属政党から議員個人に配分される支給金に至っては「政策活動費」と〝翻訳〟され、使途を明らかにする義務さえない
▼こんな浮世離れした〈訳語〉が一連の裏金問題の温床になったのは想像に難くない。政治への信頼が「カネと共に去りぬ」になってはしゃれにならない。(敏)