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昔、高柳大納言という公家が笠間へ流罪となった。高柳は佐白山の東にある岩の上で都を懐かしみ和歌を詠んだ。岩はいつしか「歌うたい石」と呼ばれるようになった

▼地元に伝わる民話である。実在の人物かは定かでない。しかし、平安時代の法律によると、常陸(現在の茨城県)は伊豆、安房、佐渡、隠岐、土佐と並んで遠流の地だった

▼NHK大河ドラマ「光る君へ」は源氏物語の作者、紫式部を描くが、平安貴族の政治の駆け引きも見どころの一つ。権力争いに敗れた公家が常陸へ島流しに遭ったとしても不思議ではない

▼藤原道長の死から約200年後、笠間時朝(ときとも)が佐白山に居城を築き、385年にわたる笠間氏18代の礎をつくった。時朝は和歌にも優れた文化人で、伯父の娘が当代随一の歌人、藤原定家の三男に嫁いでいる

▼京都の観光名所、三十三間堂(蓮華王院)は、国宝の千手観音立像1001体が整然と並ぶ。うち2体に鎌倉幕府の御家人でただ一人、時朝の刻銘がある。火災で本堂が焼失した際、遠く常陸から仏像を寄進し復興に貢献した

▼華やかな京の都に比べたら常陸は関東の田舎であるが、時朝のように貴族と交流し活躍した武将がいた。都との往来も盛んにあったに違いない。(山)

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