赤塚真人さん死去 73歳 茨城・日立出身俳優 「男はつらいよ」など出演
「幸福の黄色いハンカチ」など山田洋次監督作に多く出演した俳優の赤塚真人(あかつか・まこと)さんが4日、茨城県つくば市内の医療施設で死去した。73歳。同県日立市出身。
幼少時に東京へ転居し、中学卒業後は働きながら児童劇団で俳優としての活動を始めた。山田監督の「同胞(はらから)」で評価され、「男はつらいよ 知床慕情」や「たそがれ清兵衛」「武士の一分」などに起用された。ドラマでは「水戸黄門」をはじめ、「鬼平犯科帳」「暴れん坊将軍」など時代劇に多数出演。2002年に「劇団TA2」を旗揚げし、07年からは名称を「劇団裏長屋マンションズ」に変更、座長として活躍した。
同県つくばみらい市への転居を経て、19年に同県行方市に移住。俳優業と並行して農業にも挑戦。野菜栽培に取り組みながら、地元の「なめがたエリアテレビ」(同市麻生)の番組制作などにも協力した。
■行方に移住、農業挑戦
多くの映画やドラマで活躍した赤塚真人さんは2019年、俳優業と農業の両立を目指して行方市へ移住。同市でサツマイモ栽培を始め、干し芋作りなどに挑戦していた。
赤塚さんにサツマイモ栽培を指導していた同市小貫の「マガリヤマ旨味工房」代表、曲山渉さん(65)は「いい意味で頑固で、親分肌だった」と振り返り、「昨年3月ごろ、舞台途中で体調を崩して入院したと聞いた。回復して店に来てくれると信じていたのに残念」と涙ぐんだ。
同県鉾田市の佐藤美都里さん(74)は、夫の故・卓雄さんが赤塚さんと俳優仲間。「行方から鉾田へ、大根の煮物をわざわざ持って来てくれた。本当に面倒見のいい人。今頃は夫と天国で再会しているのでは」と話した。
移住後は、同市の防災対応型エリア放送「なめがたエリアテレビ」の番組制作にも参加。オリジナル時代劇で自ら台本を作り、主演したという。
同テレビ制作担当の宮川孝仁さん(53)は、当時の赤塚さんについて「物腰は柔らかく、ざっくばらん。とても声の通る方だった」と話した。印象に残っているのは番組撮影時の姿で、「芝居の撮影に入ると厳しい一面もあり、普段とは違うプロの顔だった。今は寂しい気持ちでいっぱい」と早すぎる死を悼んだ。