《戦後79年》日立の工場 戦災写真 平和展開幕 15日まで 被抑留者の文化活動も
戦後79年目の夏を迎え、茨城県日立市の「平和展」が1日、同市幸町1丁目の日立シビックセンターで始まった。太平洋戦争末期、軍需工場のあった同市は米軍の激しい攻撃を受け、県内で最も大きな被害が出た。今回は戦災写真などの展示に加え、「帰還者たちの記憶ミュージアム」(東京都)の企画展を初めて同時開催。同市出身の作曲家、吉田正氏も経験した「シベリア抑留」について解説し、被抑留者の生きる糧となった文化活動に光を当てている。同展は15日まで。
平和展は、同市が1985年、核兵器廃絶・平和都市を宣言したことを契機として、翌86年に始まった。今回で38回目。次世代に平和の尊さと戦争の悲惨さを伝えるのが狙いだ。45年6~7月、米軍は1トン爆弾や艦砲射撃などで市内を攻撃、1500人以上の犠牲者が出た。
会場には、労働力不足のため働く女学生や攻撃を受けて破壊された工場、焼け野原となった市街地の写真など資料約60点が並ぶ。硫黄島で戦死した出征者の遺品も展示されている。
初めて同時開催する同ミュージアムの企画展は、戦後の日本兵らが旧ソ連などの地域に抑留され強制労働に従事した「シベリア抑留」について紹介。特に抑留中の音楽や娯楽など、文化活動に焦点を合わせ資料47点を展示。収容所で歌い継がれた吉田氏の作曲作「異国の丘」について、楽譜とともに解説している。被抑留者が収容所の楽劇団で使い、持ち帰った楽器も展示。飢えで袖とパンを交換したという「袖なしの防寒外とう」や手製のマージャン牌(ぱい)などもある。
市文化・国際課の鈴木亨課長は「当時を振り返り、絶対に戦争を起こしてはいけないと決意してほしい」、同ミュージアムの川口麻里絵学芸員は「戦争が終わった後もつらい思いした人がいる。一方で、どんな状況でも文化にはパワーがあると改めて確認してほしい」と、それぞれ話した。最終日15日は午後0時半から、戦災体験者による展示案内が行われる。