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《戦後79年》空襲や疎開、記憶つづる 日立・村越さん自費出版 つらさに耐え生き抜く 茨城

「昔のこと いちわ話」を出版した村越美子さん=日立市西成沢町
「昔のこと いちわ話」を出版した村越美子さん=日立市西成沢町


太平洋戦争で空襲や疎開を経験した茨城県日立市西成沢町の村越美子さん(92)が、当時の記憶などを書きつづった著書「昔のこと いちわ話」を自費出版した。絵を添えた自筆の文章31枚をまとめた本で、戦時中の暮らしを垣間見ることができる。広く読んでもらおうと、地元の小中学校や図書館などに寄贈した。

■書きためて保管

村越さんは1932年3月に、6人きょうだいの3番目として生まれ、同市宮田町で育った。学校の用務員として働いた後、主婦業の合間に地域の民話を本に書き、子どもたちに語り伝える活動をしてきた。

いちわ話の原本は40~50年前から書きため、保管していた。昨年12月に、村越さんが母から聞いた昔話を手書きでまとめた著書「むかし、昔あったと」とともに出版した。世に出す考えはなかったが、昔話の出版に伴い、いちわ話も長女、高野都さん(61)の勧めで本にした。

村越さんは「少し恥ずかしい。(原本を)捨てようと思っていたが、娘が『もったいない』と言ってくれた」と振り返った。高野さんは「母は戦火をくぐり抜け、その後の目まぐるしい時代を生き抜いてきた。その言葉の重みや文字の軽やかさは人生を重ねた人しか書けない」と本にした価値を語る。

■防空壕で命拾い

同書はポストカードブックになっており、戦前から戦後にかけての話を1枚1話ずつ紹介する。村越さんは45年6月10日の日立空襲を経験。かみね公園の松が切り出され防空壕(ごう)の柱として使われた話とともに、当時は防空壕に入って命拾いしたと触れている。「防空壕は揺れて土が崩れ落ちてきた。最近まで花火の音を聞くと震えが来て見られなかった」と打ち明ける。

当時の食料不足も読み取れる。戦時中は食べ物がなく、タンポポやイヌタデ、ヒメジョオンなど、野草を食べたと回想。戦後も、食料を手に入れるのに苦労する様子が書かれている。

■人生の基礎学ぶ

村越さんは12歳から終戦後となる14歳ごろまで1人で縁故疎開し、同県常陸大宮市の遠縁の老夫婦に預けられた。疎開先での教訓も数多く記した。自分が必要とするだけのものを取ることなど「人生の基礎を教わった」という。同書の31枚目は、出版に当たり疎開での母との別れの記憶を書き起こした。帰って行く母の姿を、見えなくなるまで目で追った。「知らない所に置いていかれ、つらかった」と当時の思いを振り返る。

同書は約100部を発行し、昔話と一緒に日立市内の小中学校・特別支援学校や市立図書館、市郷土博物館のほか、疎開先の常陸大宮市の母校などに寄贈した。8月には同県の北茨城、高萩、常陸太田の3市の図書館にも贈ったという。

戦後79年目を迎えたが、世界では戦火が続く。村越さんは「戦争のつらさは針の山どころでない。命をむやみに奪うことをやめて話し合い、理解し合ってほしい。早く平和になることを願っている」と語った。



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