次の記事:ハイエース大量窃盗 110台超、容疑で4人逮捕 被害1億円 茨城県警など合同捜査班 

凶行生んだ差別やデマ 関東大震災・福田村事件 慰霊団体「負の歴史、忘れずに」

福田村事件犠牲者の慰霊碑に焼香するフィールドワーク参加者=千葉県野田市
福田村事件犠牲者の慰霊碑に焼香するフィールドワーク参加者=千葉県野田市


1923年9月の関東大震災直後、千葉県福田村(現野田市)で香川県から訪れた薬の行商団が地元自警団に襲われ、9人が殺害される「福田村事件」が起きた。震災後に朝鮮人を巡る流言やデマが飛び交う中、茨城県守谷市へ向かっていたとされる日本人の行商団。事件を語り継ぐ市民団体は「負の歴史を忘れてはならない」と訴える。

野田市史などによると、事件が起きたのは震災から5日後の1923年9月6日。当時は混乱と不安からか「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」などのデマや流言が飛び交い、政府の指示で自警団が組織された。

香川県の被差別部落出身の行商団15人は同村の渡船場から対岸の守谷へ向かおうとした矢先、在郷軍人などで組織された地元自警団に取り囲まれる。朝鮮人と疑われた一行は、警察官が日本人と証言したにもかかわらず幼児や妊婦を含む9人が殺害されたという。

事件を伝え続けるのは、「福田村事件追悼慰霊碑保存会」(野田市)。事件現場の神社や利根川などを来訪者に案内するフィールドワークを実施しており、現地に慰霊碑も建立した。

守谷市で8月に開かれた講演会では、長年調査を続けてきた代表の市川正廣さん(80)が登壇。事件の背景について、出自、よそ者、職業などに対する複合的な差別に加え「震災の恐怖や流言・デマへの不安が加わり凶行に至ったのでは」と指摘した。

市川さんは、加害者が「政府の指示に従った」などと弁明して罪を軽くしようとした点などを挙げ、「朝鮮人だから殺してもいいという考え方は非常に危険。どんな理由があっても人の命を奪ってはいけない」と語気を強める。

外国人を排斥する言動(ヘイトスピーチ)などを挙げ「今も同じような事件が起きないとは限らない」と警鐘を鳴らし、事件を教訓に「差別の究極は人の命を奪うこと」と指摘。「行商団がたどり着けなかった茨城の人にも事件を知ってほしい」と呼びかける。



最近の記事

茨城の求人情報

全国・世界のニュース