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中村衆院議員 引退表明 後継「後援会の意思尊重」 茨城

記者会見で政界引退を表明した中村喜四郎氏=県庁
記者会見で政界引退を表明した中村喜四郎氏=県庁


立憲民主党の中村喜四郎衆院議員(75)=比例北関東=が24日、茨城県庁で会見し、次期衆院選に立候補せず政界を引退する意向を表明した。「次の解散総選挙があれば必ず与野党伯仲が実現できると確信した」と話した。後継については「後援会の意思を尊重する」と述べるにとどめた。

会見で「与野党伯仲が実現できると確信した。心身ともに健康なうちに政治家を辞めるべきだ」と語った。

後継候補には長男で茨城県議の中村勇太氏(37)の名前が挙がっているが、「後援会の方々の意向をきちっとヒアリングしている。(後援会の)意思を尊重する」と述べるにとどめた。

引退の決断は今年4月、長崎3区など衆院3補選で立民が全勝し、与野党伯仲への流れを確信できたことだと説明。自らの地元で重ねるミニ集会で熱心に話を聞く人々の姿から「野党に行ったことに理解いただけた」と、地元選挙区でも手応えを得たとして、8月末に決心したという。

中村氏は田中角栄元首相の秘書を経て、1976年の衆院選で初当選。自民党で建設相や科学技術庁長官、党総務局長などを歴任した。94年にゼネコン汚職事件で逮捕され、実刑判決が確定して失職したが、2005年の衆院選で無所属で出馬し返り咲いた。

17年の衆院選まで選挙区で計14回当選。21年の衆院選で立憲民主から出馬し、自民の永岡桂子氏に僅差で破れ比例復活していた。国会議員では、小沢一郎衆院議員(比例東北)の当選18回に次いで多い。

当選を重ね「無敗の男」とも呼ばれてきたことについて、中村氏は「日本一の後援会に信じて支えていただいた」と振り返り、自身の後援会「喜友会」の存在を強調。「(政治資金)パーティーは1回もやったことがない。お金に頼らず、自分で汗をかいてやることが政治のモットー」と、40年以上にわたって毎週末、選挙区内を駆け巡った活動を挙げた。

引退後は投票率向上の社会運動を展開するとし、「残された人生を最大限に頑張っていきたい」と話した。



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