「水戸は人生」クラブ愛貫く GK本間が引退会見 J2最多576試合出場
J2歴代最多の576試合出場を誇り、今季限りでの現役引退を表明した水戸のGK本間幸司(47)が30日、茨城県水戸市内のホテルで記者会見に臨んだ。「代名詞のシュートストップが自分の基準に満たなくなった。29年間長くよくやったと思える。水戸は人生だ」と和やかな表情で語った。
同県日立市出身で、油縄子小、多賀中、水戸短大付(現・水戸啓明)高を経て、1996年に浦和に加入。99年途中にJFL水戸へ移籍し、すぐさま守護神としての地位を確立すると、翌年のJ2昇格に貢献した。以降は水戸一筋で、天皇杯などを含めた公式戦には632試合に出場した。
30代半ばからシーズン終了後には毎年のように「引退」がちらついた。40代になると出場機会は激減。「出られない時期が長く、辞めてもいいのかなとも思った」
その中で、最後まで必死にもがいた。9月上旬に地元日立で行われた練習試合では、90分間フル出場で無失点と健在ぶりをアピール。ゴール前で1対1を防ぐ場面もあった。元日本代表で、JFL鈴鹿の三浦知良(57)との交流でも刺激を受けた。「3、4年前に初めて食事をして、カズさんの純粋なサッカーへの思いに触れた。自分も諦めてはいなかったが、もう一回本気で(出場機会を)つかみにいこうと思えた」と振り返った。
在籍26年、47歳まで現役生活を貫いた〝ミスターホーリーホック〟。晩年期は出場機会を求めて他クラブへの移籍を考えたこともあった。だが、「このクラブでユニホームを脱ぐのが一番」と絶大なクラブ愛も貫いた。
■一問一答 「クラブのため」一番に
現役引退会見に臨んだ本間は言葉を選びつつ、穏やかな表情で報道陣の質問に応じた。
-引退を決断した理由とタイミングは。
若いチームで僕の役割はたくさんあると思ってきた中で、47歳になって疲労が強まった。練習からシュートを止めることが僕自身の支えだったが、示しがつかなくなった。今季終了後に発表したかったのが本音だが、愛するサポーターに先に伝えておくべきと考えた。
-現役生活29年のキャリアの中での思い出は。
水戸に来た時のこと。浦和で3年間全く試合に出られず、諦めようと思っていた時、地元の水戸に戻ってきた。初めて練習したのは土のグラウンドで、ゴール前には野球のマウンドがあった。同僚が泥だらけになって一生懸命プレーする姿を見て、すごい衝撃を受けたことを覚えている。
-本間選手にとってJ1、J2とは。
J1で出場することが夢だった。かなう日が来たらどれだけ幸せなのだろうと思っていた。水戸はここ数年で昇格を本気で意識できるようになった。上を目指してプレーできること自体幸せだったように思える。J2は最低でも居続けなければいけない場所で、たくさんの仲間がいる場所。
-貫いた信念は。
自分のエゴだけでなく、「クラブのために」を一番に考えてきた。試合に出られなくなっても、それだけは曲げちゃいけないと思った。難しい時期もたくさんあったが、自分よりも大切なものがあると気付けたことは幸運なことでもあった。
-本間選手が考える「水戸らしさ」とは。
粘り強さ、諦めない、戦う姿勢。きれいな言葉で言い表せない泥くささのようなもの。数々の奇跡を乗り越えてきたクラブだ。下からはい上がるものの強さをこれからも見せていってほしい。
-今季残り5試合と、来季以降については。
「引退」の言葉を頭から除いて、サッカー選手として最後の試合まで全力でプレーしていきたい。僕自身、自分のことより何かのために力を発揮できる。来季以降は必要とされるところで愛するサッカーに携わっていきたい。GKの育成にも関わっていかなければいけないと思っている。