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臨界事故25年 「教訓、生かされていない」 前東海村長の村上達也さん 茨城

臨界事故時の状況や現在の原子力政策について語る前東海村長の村上達也さん=同村内
臨界事故時の状況や現在の原子力政策について語る前東海村長の村上達也さん=同村内


核燃料加工会社JCOで1999年に起きた国内初の臨界事故から25年となり、当時、茨城県東海村長だった村上達也さん(81)が、原子力災害による初の住民避難を決断した時の思いを語った。一方、この12年後に東京電力福島第1原発事故が起き、政府の原発回帰の姿勢が鮮明となる現状に、「臨界事故の反省や教訓は生かされていない」と疑問を投げかけた。

村上さんは当時、出張先の栃木県内で、助役から臨界事故の一報を聞いた。

JCOで午前10時35分に臨界事故が発生。村は役場内に災害対策本部を設置し、村民に屋内退避を呼びかけた。JCO敷地境界付近の放射線量の速報は「毎時0.84ミリシーベルト」。一般公衆の年間被ばく限度1ミリシーベルトに迫る高い数値で、第2報もほとんど下がらなかった。

JCOは350メートル圏内の住民避難を訴えたが、国とは連絡が取れず、県は屋内待避と言う。「村民の安全を守る。自分の人生が終わってもいい。責任を取る覚悟だった」。村上さんは、村独自で住民避難を決め、午後3時、同圏内の約40世帯約120人に村職員が呼びかけを始めた。

臨界は翌10月1日午前6時14分に停止し、同圏内の避難要請は同2日午後6時半に解除された。

「原子力災害に対応する法律も体制もなかったのが問題。原子力政策は推進ばかりでブレーキがなかった」と村上さん。事故後に原子力災害対策特別措置法が制定され、国と地方自治体間の連携強化などが進められた。

ただ、事故の最大の教訓だった「安全」面では、この後も全国の原子力施設で事故や不祥事が続き、2011年に福島事故が起きた。政府は、脱炭素やロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機などを理由に、日本原子力発電東海第2原発を含めた原発を積極的に活用し、60年超運転を可能にする新制度導入の方針も示した。

村上さんは、臨界事故の反省や教訓が生かされなかったと憂慮する。「科学的精神はなく、目先の欲得で原子力を利用しようとしている」と語気を強めた。



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