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社会人野球 日鉄鹿島(茨城)・中島監督退任へ 日本選手権最後に

現在出場中の日本選手権を最後に退任する日本製鉄鹿島の中島彰一監督(左)=2023年7月18日、東京ドーム
現在出場中の日本選手権を最後に退任する日本製鉄鹿島の中島彰一監督(左)=2023年7月18日、東京ドーム


社会人野球日本製鉄鹿島(茨城)の中島彰一監督(58)が4日、現在出場中の日本選手権を最後に退任することを明らかにした。在任期間は通算16年目。2015年12月の2度目の就任から9年にわたり采配を振るった中島監督は「2度目は3年ぐらいと思っていたが、あれよあれよと時がたった。毎年進退伺を出していたので、それが今年だったということ。覚悟はしていた」と心境を語った。

今大会限りの指揮となる中島監督は、選手らには大会直前に退任を伝え「一試合でも長く野球をさせてほしい」とお願いしたという。

3日の1回戦には三菱重工West(兵庫)を2-1で下し、4大会ぶりに初戦を突破。息詰まる投手戦に指揮官は「これで終わってしまうかもしれなかったので、どきどきした」と振り返った。

チームが目指すのは初の頂点。指揮官は「最後だからというわけでなく、いつも通りの戦いをするだけ」と自然体で次戦に臨む。

中島監督は茨城県石岡市出身。現役時代は捕手として活躍し、取手二高時代の1984年の全国高校選手権決勝でPL学園高(大阪)の桑田真澄氏(元巨人など)から3点本塁打を放つなどして茨城県勢初の優勝を遂げた。

東洋大を経て98年に前身の住友金属鹿島に入社し8年間プレー。1度目の監督は2002年から08年まで務め、15年12月に復帰した。

1期目は都市対抗大会に4度、日本選手権に2度出場。2期目は1年目から4年連続で二大大会に出場するなど、それぞれ7度導いた。監督としての最高成績は都市対抗大会、日本選手権ともに4強。




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