詩人山村暮鳥しのぶ 没後100年、語り継ぐ 顕彰団体が墓参 茨城・水戸
没後100年になる大正期の詩人、山村暮鳥の顕彰団体「暮鳥会」(加倉井東会長)の有志が14日、茨城県水戸市松本町にある暮鳥の墓所を訪れ、墓に花や線香を手向けて故人をしのんだ。
暮鳥は1884年、群馬県棟高村に生まれた。前橋でキリスト教の洗礼を受け、神学校に学んで伝道師となり、東北地方や水戸など各地の教会に赴任。伝道活動をしながら詩作を続け、野口雨情や横瀬夜雨ら茨城県を代表する文学者とも交流した。1919年、結核を患って教会を辞め、晩年の約5年間は同県大洗町で療養生活を送り、40歳の若さで生涯を終えた。
命日は12月8日。同会はその前後に墓参する活動を30年以上にわたり続けている。現在の会員は50人。この日は、加倉井会長(64)を含む6人が参加した。
有志らは加倉井会長の呼びかけで、代表作「雲」の一節〈おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきそうじゃないか…〉を朗読。持参した花を筒に挿し、線香を炊いてささげ、墓石に手を合わせた。
約20年前に入会した谷岡佐江子さん(86)=同県鹿嶋市=は「コロナの影響で墓参は4年ぶりだった。暮鳥はキリスト教の牧師だったが、お線香の匂いが好きだったと聞いている。墓前に手を合わすことができてよかった」と話した。
加倉井会長は「没後100年がたっても、墓参を通じて暮鳥を語り継げるのは素晴らしい。今後も続けていきたい」と意欲を示した。