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観梅客出迎え100周年 偕楽園駅 2月2日誕生日 梅まつり11日開幕  茨城・水戸

偕楽園駅周辺に植えられた梅の木の囲いを取り換えるJR東日本水戸支社員ら=1月30日、水戸市常磐町
偕楽園駅周辺に植えられた梅の木の囲いを取り換えるJR東日本水戸支社員ら=1月30日、水戸市常磐町
黒煙を上げる蒸気機関車の観梅列車と、偕楽園駅に降りて常磐神社に向かう観光客ら=1958年2月(水戸市立博物館提供)
黒煙を上げる蒸気機関車の観梅列車と、偕楽園駅に降りて常磐神社に向かう観光客ら=1958年2月(水戸市立博物館提供)


日本三名園の一つ偕楽園の最寄り駅、JR常磐線の偕楽園駅(茨城県水戸市常磐町)が2日、開業から100周年を迎えた。水戸の梅まつり期間中の土日祝日に利用できる臨時駅として、大正から現在に至るまで、姿を変えながら観梅に訪れる多くの観光客を迎えてきた。ホームは下り線のみの特異な駅だが、関係者は「三名園の名前が付いていることが100年続いた理由では」と推し量る。今年も梅まつりの開幕を11日に控え、準備が進められている。

明治から大正期の水戸は1896(明治29)年に常磐線水戸-上野間が開業し、その後も水戸-岩沼間など鉄道の開通が相次いだ。県外からの交通網が整備され、偕楽園は徐々に国内有数の観梅スポットとしての地位を確立。偕楽園駅はそんな流れを後押しするように、1925(大正14)年、「公園下仮降車場」として誕生した。

ホームが片面で、下り線のみ利用できるのが特徴。JR東日本水戸支社によると、93年に千波湖周辺で開かれた全国都市緑化フェアの時期には、上り線に仮設のホームが造られ、列車も停車した。

駅は時代に応じて姿をさまざまに変えている。2016年に改装した際は、出入り口部分にスロープを設け、車いす利用者らへの利便性を高めた。駅の外側には「烈公梅(れっこうばい)」や「白難波(しろなにわ)」など水戸の六名木が植えられ、「梅の街」の玄関口として、多くの観梅客を出迎えている。

降雨時の冠水対策で線路の高さが上がったことや、段差のない車両が導入されたことから、改装時にホームが約36センチ高くなった。車両が最大12両編成から10両編成になったことで、現在も東端には低いままのホームが2両分残されており、柵越しに見ることができる。ホームの土留め部分には、蔵などで用いる大谷石が使われている。

水戸市の市制施行100年に合わせて1989年に発刊された写真集「水戸百年」には、58(昭和33)年2月、当時は蒸気機関車だった観梅列車と、多くの人が偕楽園駅で降りる様子が記録されている。

駅近くでアンティークショップ「TONERIKO(トネリコ)」を開いている店主の木村博さん(54)は、「観梅の時期になると、わっとお客さんを運んで、店にも流れてくる印象」と話し、「100年の歴史を持つとは思わなかった」と駅を見つめた。

同支社は11日に、梅をテーマにした列車「水戸観梅号」を走らせる。車内で梅酒や偕楽園で採れた梅の梅干しなどを提供する。

今年も偕楽園駅の開業を控え、1月30日に同支社員らが駅周辺の清掃を行った。ベンチや看板を磨き、六名木の囲いを取り換えるなどして出迎えの準備を進めた。同支社水戸統括センター副長の清水直樹さん(48)は「偕楽園を訪れ、そのまま水戸の街を観光する流れができたらよい」と期待を込めた。



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