幕末流行の鯰絵紹介 茨城県立歴史館・学芸員が解説 地震よけお守り、200種以上

幕末に大流行した鯰絵(なまずえ)を紹介し、見方や面白さ、茨城との関わりなどを考える「鯰絵と鹿島信仰」が4日、茨城県水戸市南町2丁目の茨城新聞みと・まち・情報館(水戸証券ビル1階)で開かれた。講師で県立歴史館の森戸日咲子学芸員は鯰絵について、「災害を説明するもの、鹿島の神にあやかった地震よけのお守り、地震後の不景気を支えたヒット商品、地震後の沈んだ気持ちをしゃれや言葉遊びで笑い飛ばし、癒やしたもの」などと解説した。
鯰絵は、幕末に起きた安政江戸地震の直後に大量に発行された大鯰を題材とした多色刷り木版画(錦絵)。鹿島神宮の祭神が地震を引き起こす大鯰を退治するという構図が多く描かれ、余震におびえる人たちに安心感をもたらしたともされる。地震発生から数カ月の間に、現在確認できるだけでも200種類以上が発行された。
森戸学芸員は鯰絵に頻出するモチーフに、「大鯰」、国土を守護する「鹿島神」、同神宮にあり日本の地盤を支えるとされる「要石」の3者を挙げ、「鯰などのキャラクターを登場させ、災害という現象を説明するストーリーになっていると思われる」と解説した。
当時の文化、人々の考え方、時代背景などを紹介し、鹿島神をあがめる鹿島信仰と鯰絵との関係性を示したほか、鯰絵の特徴について、「被災直後とは思えないほど悲壮感がなく、しゃれや滑稽な言い回しが多用されている」などと紹介した。