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東日本大震災14年 教訓継承 誓い新た 茨城県内、犠牲者に祈り

東日本大震災で行方不明となった漁師仲間を思い、手を合わせる人たち=11日午後1時57分、北茨城市大津町
東日本大震災で行方不明となった漁師仲間を思い、手を合わせる人たち=11日午後1時57分、北茨城市大津町
追悼式で献花をする消防団員ら=11日午後3時、北茨城市大津町の五浦岬公園
追悼式で献花をする消防団員ら=11日午後3時、北茨城市大津町の五浦岬公園


東日本大震災は11日、発生から14年となった。関連死を含む死者、行方不明者が2万2000人を超える戦後最悪の自然災害。原発事故や津波による避難者は今なお約2万8000人に上る。地震発生時刻の午後2時46分、茨城県内でも遺族らが手を合わせ、犠牲者のために祈った。被災地で人口減少や産業再生の遅れといった課題に直面する中、震災の教訓の継承に誓いを新たにした。

関連死を含め計11人の死者・行方不明者が出た北茨城市では、海に臨む五浦岬公園の展望慰霊塔前で追悼式が行われた。遺族や市関係者、市民など約50人が参列し、犠牲者に哀悼の意を表した。

豊田稔市長は「私たち北茨城市民は誰一人取り残さないという理念の下、いかなる困難が待ち受けていても、手と手を携え、最善を尽くすことを誓う」と述べた。

震災当日、同市は震度6弱の揺れの後、最大6.7メートルの高さとなる津波が襲来した。式典では、地震発生時刻のサイレンに合わせ、参列者が1分間黙とう。献花台に白菊を手向けた。

同市の吉田安守さん(84)は母の一子さん=当時(94)=を災害関連死で亡くし、夫婦で参列した。一子さんは市内の自宅から避難する際、津波に襲われ低体温症や打撲を負い、4カ月後に亡くなった。

吉田さんは「長いようで短い14年間だった。これからも災害は起こる。心の準備をしながら、頑張って生きていく」と述べ、一子さんについては「安心して天国に行ったのかなと思う。安らかに眠ってください」と祈った。

大津漁港でもサイレンに合わせ、漁業関係者が黙とう。震災で行方不明になった仲間を思い、海に向かって手を合わせた。鈴木稔さん(73)は「当時、あのような大震災が起こるとは思わなかった。今後も心にとどめておきたい」と話した。



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