東日本大震災14年 命守る 心に刻む 児童「安全」を確認 高萩市で防災訓練 茨城


東日本大震災から14年となった11日、津波により甚大な被害を受けた太平洋沿岸などの茨城県内各自治体で、防災訓練が実施された。震災を知る経験者は改めて防災意識を高めるとともに、教訓の継承にも力が入った。当時を知らない子どもたちも、真剣な表情で身を守る訓練に臨んだ。
茨城県高萩市は11日、大地震からその場で身の安全を守る行動を取る「シェイクアウト訓練」を実施した。東日本大震災の記憶の風化防止と地震発生直後の行動を再確認するのが狙いだ。小中学校や幼保園、事業所、自主防災組織などの計1876人が参加し、防災意識を高めた。
防災無線の放送を伴う実践的な訓練に、子どもたちは「地震が本当に起きたら怖い」「どう行動すればよいのか分かった」「いざという時は机の下に潜って頭を守りたい」などと感想を話した。
同訓練は学校や職場などで「姿勢を低く」「頭を守って」「動かない」という安全行動を確認できる訓練として、東日本大震災をきっかけに各地で広まった。市は揺れによって起きる家屋の倒壊や家具などの転倒などから命を守ってもらおうと、2013年から定期的に実施している。
この日は茨城県沖を震源とする最大震度7の大地震が発生したとの想定で実施。午後0時45分ごろ、市内の防災行政無線とコミュニティ放送局「たかはぎFM」から一斉に「地震発生」の放送が流された。
同市有明町の市立東小では全学年約160人が参加。5年1組の児童たちは放送と同時に素早く机の下に潜り、揺れが収まる1分間ほど、机の脚をつかむなどして頭を守った。
5年生の黒沢華菜さん(11)は「本当に(大地震が)起きたらと考えると、怖い。(訓練で学んだ)命を守る行動を小さい子や妹に教えていきたい」と決意を述べた。訓練を見守った多田典子校長は「静かに指示を聞いて、適切な行動が取れていた。震災を知らない世代、自分の身を自分で守る意識が身に付けられた」と総括した。
震災で仕事中に被災したという同市下手綱地区自主防災会の佐藤至広さん(73)は「大きな揺れで、命の危機を感じた」と当時を振り返る。「訓練しておかないと、いざという時に行動ができない」とし「防災意識を改めて高められた」と評価した。
大部勝規市長は「毎年実施することが大事」と訓練の意義を強調した上で、「震災を決して忘れてはいけない。訓練を続けていく」と安全を誓った。
■暗闇の中 避難所開設 夜間停電時を想定 大洗町
茨城県大洗町は11日、地震による夜間の停電を想定して避難所の開設訓練を行った。町職員は備品のランタンで明かりを確保し、避難所となる町立大洗小(同町磯浜町)の体育館の安全を確かめ、簡易トイレやテントを設置。暗闇の中での作業手順などを確かめた。参加した職員は「暗闇で不慣れな備品を用意するのは時間がかかる」とし、今回の訓練の重要性を強調した。
訓練は茨城県沖-房総半島沖を震源とする地震が夜に発生し、震度6弱の揺れに襲われ、大津波警報の発令で高台への住民の避難が必要となったが、町内で広く停電、断水したとの想定で行われた。
職員約30人は避難者役と、受け入れ側の職員役に分かれ、日没後の午後6時に訓練をスタート。真っ暗な体育館で明かりを確保するため、スマートフォンのライトを頼りに備品のランタンを用意した。まず、屋内に地震による落下物がないことを確かめると、入り口からランタンやペンライトを等間隔に置き、避難者の通路を示した上で、受付で対応に当たった。
断水中の屋内トイレを臨時で使うため、ヘッドライトを着けた職員が箱形の簡易トイレを組み立て、和式トイレに設置。簡易テントや段ボールベッドも用意して避難者の環境を整えた。
震災の時、町内の避難所で避難者の受け入れを担当した、同町福祉課職員の小竹森和美さん(39)は「当時はたまたま発電機があって運営に支障はなかったが、(今回は)暗くて備品の説明書が読みづらかった。普段から備品の場所や内容を職員で共有し、用意にも慣れておきたい」と気を引き締めていた。