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《東日本大震災14年》福島へ 思い共に 南相馬の茨城県避難者団体始動

打ち合わせをする菊地有未さん(右)と江尻明美さん=つくば市
打ち合わせをする菊地有未さん(右)と江尻明美さん=つくば市


2011年3月の東京電力福島第1原発事故の影響により茨城県に避難している人たちの間で昨年、福島県南相馬市出身者のグループが本格始動し、初めて交流会を開いた。事故直後は県内で出身別の避難者団体が相次いで発足したが、事故から10年を過ぎた時期での立ち上げは珍しい。当事者は「生活が落ち着いてきた今だからこそ、福島への思いは強くなる」と変わりゆく心境を明かす。

■移住先転々

「どうしても南相馬の人に会いたいんです」。23年夏、茨城県水戸市の避難者支援ネットワーク「ふうあいねっと」に1本の電話が入った。

南相馬市から同県牛久市に避難してきた菊地有未さん(37)からの電話だった。福島第1原発の北側に位置する同市は一部地域が現在も避難指示区域に入る。

菊地さんは九州や関東など10カ所を転々とした。「朝晩うなされ、これは夢じゃないかと思った」。移住先の土地になじめず、事故から5年ほどは精神的不調になり、人との接触を避けた。現実を受け止めきれなかった。

20年に牛久市に自宅を購入した。ようやく拠点を構えると「ふと地元の民謡を思い出した」という。次に浮かんだのは豊かな自然だった。山では山菜が取れ、川にはサケが上り、風が強い日は海の消波ブロックにホッキ貝が上がった。福島への思いは増すばかりだった。「ようやく生活が落ち着いたからこそ、古里を思う心の余裕が出てきた」

■立ち上げ

菊地さんの依頼を受けてふうあいねっとは、同じく南相馬市出身の江尻明美さん(59)を紹介した。江尻さんも菊地さんと思いは一緒だった。事故直後は茨城県内の南相馬出身者の交流会に参加したが、最近は開催の知らせを聞かなくなった。江尻さんはつくば市に家を購入した。「南相馬のみんながどうしているのか、何を思っているのか」。同郷者の動向が気になった。

2人は会うと3カ月後には、南相馬出身者の当事者グループ「ノマタンズ」を立ち上げた。伝統行事の野馬追をモチーフにしたご当地キャラクターが由来だ。

運営メンバーもさらに2人増え、菊地さんが代表になった。昨年8、11月に同県つくば市と水戸市で計4回、初の交流会を開き、県内各地の南相馬出身者が延べ28人参加した。「南相馬の交流会を待っていた」「同じ地区の人と話せた」「共通の知人がいた」などの声が寄せられ、好評だった。

■古里の話題

菊地さん自身も野馬追など古里の話題で盛り上がった。交流会について菊地さんは「同じ避難の痛みを知っていないと軽々に体験を話せない人もいる。ため込んでいる物を吐き出せる場所にしたい」と目標を話す。4月から代表を引き継ぐ江尻さんも「くだらない話でもいい。話すことで少しでも気持ちが楽になれる場にしたい」と考える。そう言うと、2人は福島沿岸の名物「カニ汁」の話題に花を咲かせた。

福島県の統計では、福島第1原発事故による県外避難者は2月時点で1万9673人。ふうあいねっとの調べによると、避難先の都道府県は茨城県が最多の2260人で、うち南相馬市からは285人で市町村別で5番目に多い。



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