地下鉄サリン30年 猛毒警戒、異質な緊張 茨城県警機動隊 施設捜索や検問 元隊員「許されぬ事件」


オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で30年を迎える。茨城県警機動隊は同事件3日後の1995年3月23日、山梨県上九一色村(現富士河口湖町)周辺で、指名手配者の手掛かりをつかむため、同村の教団施設に出入りする車両の検問に緊急出動した。動員された一人で、警備課航空隊長兼地域課管理官の菊池和明警視(57)=当時巡査=は「誰がサリンを持っているか分からず、普段とは異なる緊張感があった」と振り返る。
山梨県に入ってから、警察で配備されていなかった防毒服や防毒マスク、有毒ガス検知機を自衛隊から借り、使用方法を教わりながら任務に当たった。検問は河口湖インターチェンジから同村までの間に設けられた。普段は車通りの少ない道だが、22日の捜査本部による捜索の影響からか、昼夜問わず信者が行き来していたという。
同教団の修行装置として当時広く知られた電極付きの帽子(ヘッドギア)をかぶる信者、食料のゼリーをドラム缶いっぱいに積んで何往復もするトラック、大きな空気清浄機をトランクに搭載した乗用車…。どれも異質な光景と映ったが、信者は素直に運転免許証を提示するなど、「早く教団に行こうとしていて、反抗的な人はいなかった」と意外な印象を持ったという。
検問は他県警などと交代勤務で4月1日まで続けたが、指名手配者にはたどり着かなかった。
同年、旧旭村(現茨城県鉾田市)などにあった教団施設を捜索した。機動隊は毒ガス検知用のカナリアを連れ、防毒服で捜査員の先頭に立った。捜査員が施設管理者に話を聞いている間も、道場では信者がヘッドギアを着け、スピーカーを通して流れる松本智津夫元死刑囚=執行時(63)、教祖名・麻原彰晃=の声に合わせて修行していた。
当時は警察組織全体で資機材や知識が十分でなく、「オウムは予想を超えていた」と指摘する。その後は体制が整えられ、同種の事案に対応するための訓練も行われている。菊池警視は「決して許されるものではない。同じような凶悪事件を二度と起こさせるわけにはいかない」と心に刻んでいる。
■水戸施設使用禁止も「オウム続いている」 茨城県警、後継団体に対処
公安調査庁は団体規制法に基づき、オウム真理教の主流派後継団体「アレフ」の水戸施設(茨城県水戸市水府町)を県警と協力して立ち入り検査をしている。昨年6月には居住者はいなかったものの、松本元死刑囚の写真や、説法を収録したDVDなどの教材が多数残されていたという。
水戸施設は出家信徒の住居や道場として使われ、茨城県での活動拠点となっていたが、公安審査委員会の再発防止処分により、現在は使用が全面的に禁止されている。
県警公安課は、後継団体の実態解明を進めるとともに、教団施設周辺の地域住民の不安を和らげるため、パトロールを実施している。地下鉄サリン事件後、警察庁は化学兵器に対処する部隊を創設したほか、県をまたぐ広域犯罪への捜査協力体制を構築した。
事件を風化させないため、県警は県民向けに広報する一方、初任科生や当時を知らない世代の職員向けに教訓を伝えている。
斎藤直美課長は同様の事件が水戸市内で発生した場合に想定される被害や負傷者の搬送先を示しながら、「『オウムはまだ続いている』という意識を常に持ってもらっている」としている。