《いばらき戦後80年》シベリア抑留の遺骨、娘へ 古河・吉岡さん「戦争なければ」
第2次世界大戦後の旧ソ連によるシベリア抑留中に死亡した旧日本陸軍伍長、青木勝一さんの遺骨が21日、茨城県古河市の遺族に引き渡された。県職員から白い布に包まれた遺骨の箱を受け取った長女の吉岡秀子さん(84)は「やっと会えた。この重みで実感が湧いた」と涙を流した。厚生労働省の遺骨収集事業で2019年8月に収容され、DNA鑑定で身元が判明した。
1941年の青木さんの出征から80年余り。遺骨と対面した吉岡さんは「父は生きて帰りたかったと思う。私も父の顔さえ見たことがなかったから、悔しさしかない。戦争さえなければ」と語った。
県などによると、青木さんは栃木県栃木市藤岡町出身。農家の五男として生まれ、家業に携わっていた41年5月ごろに出征、朝鮮半島や中国方面に渡ったとみられる。歩兵第289連隊に所属。戦後の47年1月、ハバロフスク地方ホルモリン地区ゴーリン病院で、30歳で亡くなった。
青木さんの出征時、吉岡さんは生後約3カ月で記憶はない。吉岡さんは「東京五輪の前年に行った結婚式で、親類から初めて、父は出征する際に私を抱き、顔をまじまじと見ていたと教えてくれた」と振り返る。青木さんは胃腸が弱く、不安げに「帰ってこられるかな」とつぶやいたと、親類は伝えている。
吉岡さんが父の死を知ったのは6歳ごろの夏。昼寝をしていると家に電報が届いた。生前、父について多くを語らなかった気丈な母が、この時ばかりは泣いていた。「母に父のことを尋ねたことはないし、母も自分から言うことはなかった。母は負けん気が強かったし、覚悟もできていたのだろう。ただ母はずっと『悔しい』と言っていた」
遺骨はしばらく自宅に安置した後、母らが眠る栃木市内の墓に入れる予定だ。
厚労省によると、旧ソ連やモンゴルで亡くなった抑留者は推計約5万5千人。このうち2025年1月末時点で約3万3000人が未収容という。03年から導入された国によるDNA鑑定で身元が判明し、茨城県内の遺族に届けられた遺骨は、青木さんが29人目となっている。










