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奥原晴湖、女流南画の魂 山水や花鳥の名品一堂に 古河出身、明治期に活躍 茨城県五浦美術館

「富貴飛燕、芙蓉翡翠」を解説する学芸補助員の宮本夢花さん=北茨城市大津町の県天心記念五浦美術館
「富貴飛燕、芙蓉翡翠」を解説する学芸補助員の宮本夢花さん=北茨城市大津町の県天心記念五浦美術館
奥原晴湖(1912年)
奥原晴湖(1912年)


中国文人画にルーツを持ち、山水や花鳥に漢詩を添えて画家の胸中の理想世界を描く「南画」。明治期に女流南画家として名をはせた奥原晴湖(おくはらせいこ)(1837~1913年)=現在の茨城県古河市出身=に光を当てた企画展「奥原晴湖と近代の南画」が、同県北茨城市大津町の県天心記念五浦美術館で開かれている。水墨による大胆奔放な筆致の前半生から精緻な彩色が特徴の晩年までの画業を紹介。山水や花鳥の名品は、南画隆盛期の一翼を担った晴湖の魂を伝えている。

晴湖は江戸時代後期、古河藩士池田家に生まれる。幼少から蘭学者の鷹見泉石(せんせき)や文人画家の枚田(ひらた)水石(すいせき)らに学び、詩書画に才を見せた。成人した晴湖は江戸へ出ることを決意するが、当時の古河藩は女性の出藩を禁じていた。そこで29歳の時、隣の関宿藩に属する親戚の奥原家の養女となり、望みをかなえる。江戸へ出ると画室を構え、文人たちと交流しながら制作に専念した。

維新後、晴湖は、江戸から「東京」と改称された時代の空気と合致するように、豪快な筆遣いの作品を多く描くようになる。35歳の時、当時の女性では珍しく断髪するなど豪胆な性格でも評判となった。木戸孝允や山内容堂(ようどう)ら政府要人の後援者に恵まれ、東京大学に通っていた岡倉天心(覚三)にも絵の指導を行った。

その後、鉄道敷設のため、居住地が国から買い上げられ、1891(明治24)年、55歳の晴湖は埼玉県の熊谷へ隠せいする。以降は東京時代とは対照的に、精緻で細密な作品を晩年まで描き続けた。

晴湖を特集する展示としては、県立の美術館では15年ぶり。水墨による大胆奔放な筆致の東京時代と、精緻な彩色山水画に注力した熊谷時代の作品16点(入れ替え含む)を公開。清浄な深山を表現した「夏山驟雨図(かざんしゅううず)」(85年)、花鳥を華やかに描いた「富貴飛燕(ふうきひえん)、芙蓉翡翠(ふようひすい)」(95年)、風格漂う猛禽(もうきん)を題材にした「威震八荒図(いしんはっこうのず)」(1908年)といった作品を目にすることができる。

このほか、晴湖と同時代の猪瀬東寧(とうねい)や野沢白華(はっか)ら茨城ゆかりの南画家の作品も展示。大正期に小川芋銭(うせん)らが自由な様式で描いた「新南画」も紹介している。

同館学芸補助員の宮本夢花(ゆめか)さんは「奥原晴湖の東京・熊谷の両時代の山水や花鳥の名品を集めた。理想郷を訪ねる気持ちで作品を鑑賞してもらえれば」と呼びかけている。

会期は4月20日まで。月曜休館。同館(電)0293(46)5311。



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