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《いばらき戦後80年》シベリア抑留 林さんの遺骨、帰郷 待ち続けた次女涙 茨城町

シベリア抑留中に亡くなった林静さんの遺骨を受け取る、次女の来栖美智子さん(右)=茨城町
シベリア抑留中に亡くなった林静さんの遺骨を受け取る、次女の来栖美智子さん(右)=茨城町


第2次世界大戦後、シベリア抑留中に亡くなった元陸軍伍長、林静さん(享年36歳)の遺骨が24日、故郷の茨城県茨城町で遺族に引き渡された。県職員から遺骨を受け取った次女、来栖美智子さん(87)(旧姓林)=同県笠間市=は、「大好きなお父さんが帰ってきた。皆で迎えられてうれしい」と目を潤ませた。父の帰郷を待ち続けて80年余り。「戦争は大嫌い。世界中で戦争がなければ犠牲もない」と平和を願った。

遺族や県などによると、静さんは1910年、川根村(現茨城町)に生まれた。44年4月、召集を受けて陸軍に入隊。翌45年8月15日に終戦を迎え、現在の中国錦州市で武装解除後、シベリアに抑留、強制労働に従事させられたとみられる。46年11月3日、旧ソ連の東カザフスタン州レニナゴルスク市(現カザフスタン)で死亡したとの記録が残る。

「優しい父だった。田畑に一緒に行ったり、よく川で遊んだりした」。美智子さんは、父と過ごした幸せな日々を懐かしむ。

美智子さんの小学校の入学式の直前、大好きな父に召集令状が届いたという。出征日の早朝、母親と共に同町から同県水戸市まで歩き、父を見送った。「『何々連隊』と次々呼ばれていった」。父の連隊前を一生懸命に覚え、目を皿のようにして通り過ぎる軍人たちの中から父を探した。「見つけて手を上げたら、お父さんも小さく手を上げてくれた。それが父との最後の別れ」と回想する。

戦争が終わり、美智子さんの友人の父親たちは帰ってきた。それをうらやましく、悲しく思いながら見てきた。「戦争をやったからお父さんは帰ってこられなかった。戦争がなくなり、世界の人が皆仲良くやっていればいい」と願う。

旧ソ連から日本政府に提供された名簿によると、レニナゴルスク市の埋葬地には抑留中に死亡した20人が埋葬された。政府の遺骨収集団が2019、22、23年に同地から遺骨13柱を収容。DNA鑑定の結果、うち1柱が静さんと分かった。

24日、同町の静さんの実家には孫、林友子さん(60)をはじめ親族が集まり、遺骨に手を合わせた。次男の田口進さん(82)は遺骨を仏壇に置き、「父さんよ、お帰り。長い間、無事に帰って来れなくて、ようやく帰ってきただ。一杯やっぺよ、親父(おやじ)」と献杯し、語りかけた。そして「(埋葬地などには)まだまだ残っている人がいる。もっと鑑定が進んでほしい」と願った。

厚生労働省によると、シベリア抑留で約5万5000人が命を落としたとされる。



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