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尼港事件105年 風化憂う 水戸二連隊犠牲 遺族「忘れられている」 茨城

尼港事件で伯父を亡くした嶋根紀之さん=常陸太田市内
尼港事件で伯父を亡くした嶋根紀之さん=常陸太田市内


大正期のシベリア出兵時、ロシア革命勢力のパルチザン(非正規軍)に日本人約730人を含む6000人余りが虐殺された「尼港(にこう)事件」から今年で105年目を迎えた。事件で旧陸軍・水戸歩兵第二連隊第3大隊の約300人が全滅。伯父を亡くした茨城県常陸太田市の嶋根紀之さん(84)は「伯父がどんな人だったか聞くすべはない。尼港事件は全く忘れ去られている」と事件の風化を憂う。

尼港(ニコラエフスク)はロシア東部で中国との国境を流れるアムール川河口にあった町。共同出兵した米英軍などが撤退後もシベリア各地に駐留した日本軍は、ソビエト政権を支持するパルチザンと衝突を繰り返していた。

同県水戸市史や嶋根さん所有の資料などによると、嶋根さんの伯父、伝衛門さんが所属する水戸二連隊を中心とした守備隊は、尼港で暮らす日本人保護のため駐留。パルチザン約4000人は1920年、尼港を包囲して反革命派のロシア人住民の虐殺を開始。同年3~5月には日本領事一家や在留邦人も殺害され、伝衛門さんも22歳で戦死した。

日本軍の救援隊が到着した6月、パルチザン撤退後の町で、嶋根さんの父に当たる弟の末吉さんや近所の子どもに宛てた伝衛門さんの手紙が見つかった。手紙には「先生や父母の言うことを聞き、体を丈夫にして勉強してくれ」「春にはロシアの珍しい物を買って帰り、シベリアの話を聞かせる」などと書かれていた。手紙は伝衛門さんの母で嶋根さんの祖母、かよさんに届けられた。

末吉さんも水戸二連隊に所属し43年6月、ニューギニアで戦死。嶋根さんは、息子2人を戦争で失い、涙を流すかよさんの姿が今も忘れられないという。

嶋根さんは「太平洋戦争があまりにも大きかった。命日にはお参りに行くが、伯父がどこでどう死んだかも分からない。心残りだ」と事件への関心の低さを嘆いた。


日本人捕虜の大量虐殺があったとされる日に合わせ、慰霊式典が24日、水戸市袴塚3丁目の「尼港殉難者記念碑」前で行われた。

参列した市民団体「水戸史学研鑚(けんさん)会吉田塾」の栗原邦俊(ほうしゅん)塾長(74)は「シベリア出兵と尼港事件で日本は欧米に危険視され、国際社会から孤立する道を歩んでいった。太平洋戦争の起点だ」と指摘。「水戸ゆかりの人が関わった大きな事件で、忘れてはいけない。毎年ではなくとも慰霊式典を続けたい」と語った。



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