「国民に夢与えた」 長嶋茂雄さん死去 茨城県内 哀悼や感謝の声


「ミスタープロ野球」、元巨人の長嶋茂雄さんが3日、死去した。戦後の日本を代表するスーパースターの訃報に、多くの茨城県民は「ショック」「非常に残念」と悼むとともに、「夢を与えた」など功績をたたえる声や感謝の言葉を寄せた。
「背が高くてスタイルが良く、かっこいいなと思った。会えたのは誇り」。水戸市、元新聞社員、田口敏さん(82)は昔、長嶋さんを水戸で取材した時のことを懐かしんだ。
巨人ファンだった田口さんはデビュー戦での国鉄(現ヤクルト)の金田正一投手との真剣勝負や、天覧試合でサヨナラ本塁打を打った時の興奮は今でも鮮明に覚えているという。「時代をもり立てたヒーローが亡くなったのはショック」と声を落とした。
試合を何度も観戦した日立市、無職、福田静夫さん(73)は「(長嶋さんのデビュー)当時は野球が唯一の娯楽。サイン入りボールを買ったこともある」と回顧。「非常に残念」とうつむいた。
野球に携わる県民からは憧れや尊敬の声が聞かれた。野球教室を主催する筑西薬剤師会の山口浩司さん(61)は「ホームランを打ってほしいときに打つ。華やかなプレーを見せる。そういう選手はなかなかいない」と逝去を惜しんだ。
続けて「プレッシャーを楽しめという言葉を残した長嶋さんのように、メンタルの強い選手に」と教室の子どもらの成長を願った。
牛久市の還暦軟式野球チームの会長、小島五男さん(78)も「王さんと並んで国民的ヒーロー。ここ一番で打ってくれた」と強調。自分が野球に長年携わってきたのは「長嶋さんというヒーローを追いかけてのこと」と惜別した。
長嶋さんは、日米OBオールスターゲームや講演で茨城県を訪れている。前鹿嶋市長、錦織孝一さん(78)は鹿島青年会議所理事長だった1980年代半ば、長嶋さんを招き、旧鹿島町で講演会を開いた。
錦織さんは懇親会のカラオケで「旅姿三人男」を歌ってくれたことを懐古し、「夢と感動を与えてくれる存在だった。鹿島に来てくれたことに感謝している」と思いを込めた。
■「日本の宝失った」 県内野球関係者、ミスター悼む
「ミスタープロ野球」と呼ばれ、巨人の選手、監督として昭和の球界を長年けん引してきた長嶋茂雄さんの訃報が伝わった3日、茨城県内の野球関係者から追悼の声が聞かれた。
常総学院高などを経て、1996年に長嶋監督時代の巨人に入団し、不動のリードオフマンとして活躍した仁志敏久さん(53)=西武野手チーフ兼打撃コーチ=は「親のような存在。速報を見て驚いた」と語った。最後に対面したのは昨年の球団OBが集まるイベントだったといい、「本当に突然だった」と悔やんだ。
巨人では選手と監督の関係で6年間を過ごし、「長嶋さんからは『人に見られていることの自覚』を学んだ」と明かした。「今があるのは入団したばかりの僕をすぐに使ってくれたおかげ。たくさん我慢して期待もしてくれた」と振り返った。
鉾田一高から巨人に入団し、現在は長嶋さんが名誉校長を務める同球団アカデミーでコーチとして活動する東野峻さん(38)は「日本の宝物を失った。残念な気持ちしかない」と話した。2011年には開幕戦を託されるなど投手として活躍した東野さんだが、唯一指導を受けたのが打撃だったといい、「擬音を用いて熱心に教わった」と懐かしげに語った。また、指導者として球団に携わる現在は「長嶋さんの意志を継ぎ、人口が減る野球の裾野を広げたい」と力を込めた。
90年代に横浜で主に中継ぎ投手として活躍し、長嶋監督率いる巨人と対戦した常総学院高の島田直也監督(55)は「まさにスーパースター。誰にも好かれる選手で、監督だった。自分もそういうふうになれればと思う。今まで野球界を引っ張った方が亡くなったことは悲しい」と惜しんだ。
県高野連の榎戸努専務理事(69)は高校時代、長嶋さんと同じ三塁手としてプレーしたという。「われわれは長嶋さんに憧れて野球をやっていた世代。野球界の太陽だった」と故人をしのんだ。