《みと・まち・情報館便り》弘道館「医学館」を解説 主任研究員・小圷さん 14日講話 茨城・水戸

水戸藩9代藩主・徳川斉昭が1841(天保12)年に開いた藩校、弘道館(茨城県水戸市三の丸)の焼失した「医学館」について、県弘道館事務所主任研究員の小圷のり子さんが「水戸藩の医学と弘道館医学館」をテーマに、14日午後2時から、同市南町2丁目の茨城新聞みと・まち・情報館で講話する。
弘道館の常設展で、医学館に関する展示の目玉は、斉昭が医学館開設の趣旨を自ら記した「賛天堂記(さんてんどうき)」の拓本。賛天堂記はもともと医学館の講堂に掲げられていた板額で、「医学館をわが国の医学・医療体制のモデルにしたい」という斉昭の抱負も示されている。
医学館があった場所は、現在の三の丸市民センターから三の丸小体育館辺り。小圷さんは「弘道館の敷地内で南側の中央、一番いい場所にあったことでも、斉昭の思いの強さが分かる。製薬局、調薬局、薬園や牛乳・牛酪をつくるための牛部屋まであった」と話す。
常設展では、斉昭が当時、大流行した天然痘から領民を救おうと、種痘(予防接種)の普及に尽力した史実なども解説している。弘道館では昨年6月まで、医学館開設180年を記念した企画展を開催するなど、関心が高まっている。
小圷さんは「斉昭は医学に高い関心を持っていた。知識も豊富で、病気の家臣がいれば良薬の処方を与えていたほど」と、斉昭のあまり知られていない一面を紹介する。
講話は参加無料。事前申し込みは、みと・まち・情報館(電)029(306)9500(平日午前10時~午後5時)まで。