老中・水野忠邦の墓所 結城市に寄贈 子孫の忠俊さん 「大事にしたかった」 茨城

江戸時代に「天保の改革」を主導した老中、水野忠邦らの墓所「山川水野家墓所」(茨城県結城市山川新宿)が同市に寄贈されていたことが17日、分かった。市は同日、墓所を寄贈した同家16代当主、水野忠俊さん(88)に感謝状を贈呈した。今後は歴史教育や観光資源として活用を図り、同家の歴史や功績を伝承していく。
水野家は徳川家康の母の実家に当たり、三河国(現愛知県)に住んだとされる。山川水野家は分家筋で、大坂夏の陣の功により、徳川秀忠から下総山川領(同市山川地区)などを与えられた忠元の系統。忠元の墓所は同市山川新宿に設けられ、一族が国替えで山川地区を離れて以降も、11代目忠邦まで代々の当主が同所に葬られた。1958年には「水野越前守忠邦の墓」が県指定史跡に、2013年には11代の墓所全体が「山川水野家墓所」として市指定史跡になっている。
16代当主の忠俊さんは、個人で墓所を保持していく難しさを踏まえ、約20年前から市への寄贈を申し出ていた。しかし所有者が3代前の当主のままになっており、手続きが難航。まず、忠俊さんに所有権を移転する必要があったため、宗家筋である結城水野家の20代当主、勝之さん(81)と協力し、具体的な系譜を証明できる資料を探したという。
忠俊さんは「先祖がせっかくこの地に設けたもの。大事にしたかった」と寄贈への思いを語り、ようやく実現したことに「奇跡が起こったような感じ」と喜んだ。
協力した勝之さんは、忠邦の墓の側面に刻まれている辞世の句を紹介し、「天保の改革を実施した忠邦の思いが伝わる。ぜひ見てほしい」と呼びかけた。
感謝状を贈呈した小林栄市長は「非常に貴重な史跡。しっかり活用させていただく」と話した。