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《第107回全国高校野球選手権大会》明秀日立(茨城)、初戦敗退 心の支え 選手に勇気 マネジャー・五十嶋さん けがの経験生かす

スタンドから声援を送る五十嶋里紗マネジャー=甲子園球場
スタンドから声援を送る五十嶋里紗マネジャー=甲子園球場
ダンス部や吹奏楽部などが加わり、応援の力強さが増す一塁側の明秀日立高応援団=甲子園球場
ダンス部や吹奏楽部などが加わり、応援の力強さが増す一塁側の明秀日立高応援団=甲子園球場


第107回全国高校野球選手権大会で、茨城県代表の明秀日立高を陰で支えたマネジャーがいる。五十嶋里紗さん(3年)は中学時代に度重なるけがでテニス選手の道を断念したが、裏方に回り、サポート役という新たなやりがいを見つけた。「けが人の気持ちが分かる」と、自身の経験を生かし野球部を献身的に支えた。

マネジャーの仕事は幅広い。水分補給やノックの手伝い、球磨き-。中でも五十嶋さんが力を入れたのは選手の精神的なケアだった。けがをした選手が「少しでも明るい気持ちになれば」と、積極的に声をかけた。7月の県大会準々決勝で負傷した能戸輝夢主将(同)には「甲子園に出られるようになる。頑張っていこう!」と勇気づけた。「支えることが喜び」と話す。

五十嶋さんは小学3年でテニスを始めたが、中学2年から3年の春にかけ、足の靱帯(じんたい)を複数回損傷した。推薦入学の話もあり高校でも続けたかったが状態が良くならず、全国高校総体出場という夢を諦めた。

進路に迷う中、転機となったのは2022年夏の甲子園大会3回戦、明秀日立高と仙台育英高の一戦だった。野球好きの家庭で育ったため、家族で現地観戦した。「諦めず戦う選手が、かっこよかった」と明秀日立高に興味を持った。

後日、金沢成奉監督の著書を読み、野球に対する考え方にも引かれた。「高校でしかできないことをやりたい」とテニスに区切りをつけ、マネジャーになる決心を固めた。同年9月に同校の練習を見学。金沢監督に入部を直訴した。「きついけど、大丈夫か?」と問われ、「それでもやります」と同校に入学した。

中学時代。けがをして部活を休んだ時に、テニス部の仲間から「里紗がいないと勝てない」「早く戻ってきて」と励まされた。「うれしかったし、力になった」。それを忘れず、野球部のけがをした選手に「声かけ」を続けてきた。

同校は9日、静岡県代表の聖隷クリストファーと対戦し1-5で敗れた。五十嶋さんはこの日も声をからし、スタンドから熱い声援を送った。一緒に歩んできた明秀日立高の選手は、最初に興味を持った時と同じで「最後の最後まで諦めなかった」。そして、両目に涙を浮かべて言った。「良い仲間に出会えて良かった」

■待望の応援団 力強く

甲子園球場の一塁側アルプス席から大声援を送った明秀日立高の地元応援団。渋滞などにより吹奏楽部など一部の到着が遅れる不測の事態に見舞われたが、3年生部員ら約20人が声の限りに選手を鼓舞した。六回に待ちに待った「援軍」約260人が加わると、応援の力強さが最高潮に達した。勝利こそ逃したが、試合後は「ありがとう」「最後まで頑張った」と健闘をたたえる声が挙がった。

明秀日立高側のアルプス席は、試合開始からしばらく、吹奏楽部などを含む応援団が悪天候や事故・お盆の渋滞に巻き込まれ、空席が目立った。同校野球部3年で、応援リーダーの松本翔生さん(18)は「正直きついけど、やるしかない」と、応援をけん引した。

三回には、同校の丹羽桜太、小方信之介両選手(ともに3年)の出身チーム「京都東山ボーイズ」の中学生24人が空席の応援団席に移動し、応援を手助け。一緒に声を振り絞った。

六回表に待望の応援団が到着すると、一塁側スタンドから拍手が起こった。ダンス部長の沼田結愛さん(17)は「遅れてきた分、気合を入れる。応援の力で勝たせたい」と意気込んだ。六回裏の攻撃から迫力ある演奏も加わり、一体となって試合をもり立てた。

しかし、反撃は及ばず。試合後、選手らがスタンドに一礼すると、惜しみない拍手が送られた。佐藤虎太郎選手(同)の父・倫之さん(49)は「ここに連れてきてくれてありがとう」と感謝した。



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