釜本邦茂さん死去 「日本サッカー界の先駆者」 茨城県関係者からも追悼の声

日本サッカー界が生んだ不世出のストライカーで、1968年メキシコ五輪では得点王の活躍で銅メダルの原動力となった元JリーグG大阪監督、元参院議員の釜本邦茂(かまもとくにしげ)さんが10日午前4時4分、肺炎のため大阪府の病院で死去した。81歳。京都府京都市出身。
メキシコ五輪で釜本さんとともにサッカー日本代表として戦った鎌田光夫さん(87)=茨城県日立市出身、三重県鈴鹿市在住=は訃報を受け、「ただただ残念という言葉に尽きる」と悼みながら、「豪放磊落(らいらく)な性格で、7歳年下の弟分としてよくかわいがっていた」と思い出を懐かしげに振り返った。
当時は釜本さんがフォワード、鎌田さんがディフェンダーだったことから、練習では何度も対戦したという。「どんな高いボールでも胸で収め、右足に抜群の強さがある。豪快なプレースタイルだった」と回想した。
茨城県内では2010年代に、水戸市小吹町のケーズデンキスタジアム水戸で、釜本さんを講師に招いたサッカー教室が行われた。協力したJ2水戸の沼田邦郎前社長(60)は「日本サッカー界の先駆者で、その功績は大きい」としのんだ。「競技普及へ子どもへの思いが強く、規律を重んじる方だった。我々も釜本さんの意志を継げるように活動を続けていきたい」と強調した。