平和訴える元特攻隊員 千玄室さん死去 笠間で献茶式

14日に死去した茶道裏千家の前家元、千玄室さん(102)は同志社大在学中の1943年、第14期海軍予備学生として学徒出陣、飛行機のパイロットとして茨城県の土浦海軍航空隊で訓練を受けた。特攻隊員として若い命を散らした多くの戦友の出撃を見送ったが、自らは待機命令を受け、終戦を迎えた。
それから70年。2015年3月には、同県笠間市旭町の筑波海軍航空隊跡で、戦死した隊員たちを慰霊するとともに、恒久平和を願う「献茶式」を催した。その後、何度も同隊跡の筑波海軍航空隊記念館に足を運んだ。同館の金沢大介館長(54)は「お茶を立てるだけでなく、いつ何時も戦争を語り継ぐことを大切にされていた」としのんだ。
献茶式の開催は、同館の関係者が招待する手紙を送ったのがきっかけ。前家元から「隊は違うが、仲間たちのために一わんを献じたい」と返事があった。式には、同隊など海軍予備学生の戦没者遺族ら約700人が全国から集った。
前家元は式で黒い正装に身を包み、椅子に座って茶をたてる「立礼(りゅうれい)」で濃茶と薄茶の二わんを立て、祈りを込めるように器を頭の位置まで上げて献茶台にささげた。献茶の後、「90年を超す生涯で誠に意義のある式だった。してはならない戦争を繰り返すことがないよう、平和を祈願しなければならない」と語った。
金沢館長は「戦友に対する思いが非常に強かった。戦友と再会するために足を運んでいたようだった」と振り返る。金沢館長によると、式後にあった懇親会で旧友らと再会した前家元は、まるで青年同士がふざけ合うように屈託のない笑顔で肩を組み合っていた。その後、プライベートで同館を訪れた際は、展示された同期生の遺影を前に、しばらく立ち尽くして涙を流す様子も見られたという。
金沢館長は、前家元が茶道を通じて平和を訴え続けてきた姿に思いをはせ、「(終戦の日の)8月15日の新聞に訃報が載るのは、絶えず当時を語り継いできた生きざまを表しているようだ。これからは私たちが次の世代に伝えていきたい」と語った。
■県茶道連合会長・永盛さん 「大きな存在」
茶道裏千家の前家元、千玄室さんが亡くなったことを受け、県茶道連合会長で裏千家の永盛宗恵さん(77)=同県水戸市在住=は「驚いた。びっくりしている。私たちにとって大きな存在でした」と静かに語り、死去を悼んだ。