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終戦80年追悼式 父亡くした佐藤弘子さん(80) 悲惨な戦争 記憶継承 弱音吐かぬ母の苦労 茨城・東海

・父・喜久雄さんの遺影を持つ佐藤弘子さん=東海村内
・父・喜久雄さんの遺影を持つ佐藤弘子さん=東海村内
・佐藤弘子さんの父・喜久雄さんの葬儀の際の写真。弘子さん(左から2人目)は生後5カ月ごろ
・佐藤弘子さんの父・喜久雄さんの葬儀の際の写真。弘子さん(左から2人目)は生後5カ月ごろ


終戦から15日で80年の節目を迎えた。戦没者遺族、戦争体験者らの高齢化が進み、悲惨な戦争の記憶や平和の尊さをいかに次世代に継承していくかが課題となっている。そんな中で、各地の高齢者が諦めることなく、貴重な経験を伝えようとしている。

日本武道館(東京)では15日、全国戦没者追悼式が開かれ、茨城県の遺族96人が参列。黙とうをささげて戦争の犠牲となった家族を悼んだ。父を亡くした県遺族連合会常務理事の佐藤弘子さん(80)=同県東海村=は、母の苦労を語り継ぐことで「戦争の悲惨さを伝えたい」と、次世代への継承に思いを込めた。

佐藤さんの父、喜久雄さんは1945年1月19日、中国・蘇州で亡くなった。華中鉄道の駅員で、夜勤中に襲撃された。その日は上司の男性が出勤予定だったが、偶然交代していた。

母ふじさんは喜久雄さんの遺骨を抱き、生後5カ月の長女・弘子さんを背負って帰国。夫がいない中でも弱音を一切吐かず育ててくれたという。弘子さんは高校卒業後、家計に貢献したいと村役場に勤めた。

喜久雄さんを知る人から「見た目がそっくりだ。気前がよくて、酒をよく飲むところも似ている」と言われることが、父を感じる瞬間だった。喜久雄さんの上司だった男性も終戦後に気にかけてくれ、成人式に着物を贈ったり、結婚式に出席したりしてくれたという。

20代後半からは県遺族連合会に参加。「遺族会に参加することが一番の親孝行」と話す。遺族会の中国巡拝では蘇州も訪れた。

戦争を語り継ぐことの大切さを感じ、語り部の研修を受けている。「苦労を経験した母たち(の世代)は亡くなっている。私が見てきた母の苦労を語り継ぎ、戦争の悲惨さを伝えたい」と力を込める。

追悼式には県内から7~92歳の遺族が参加した。最年長の斎藤二三子さん(92)は10歳の頃、父の松本龑(えん)さん=当時(34)=が東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)で戦病死。スキーに連れて行ってくれた思い出を大切にしており、「子煩悩な父だった。妹2人と出席できて感無量。亡くなった母も喜んでいると思う」と感慨深げだった。

45年4月にフィリピンで戦死した君嶋善男さん=当時(29)=の妹のひ孫に当たる葵衣さん(14)と祥多さん(7)は家族と初めて参列。国務大臣ら来賓の献花を補助した葵衣さんは「善男さんはとても優しい方だったと聞いている。ご先祖さまに感謝して補助役を務めたい」、茨城県最年少の祥多さんは「(式典は)緊張した」とそれぞれ話した。



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