《いばらき戦後80年》特攻隊員供養 存続の危機 「桜花神雷奉賛会」32年前設立 高齢化、継承者なく

太平洋戦争末期、現在の茨城県鹿嶋、神栖両市にまたがってあった神之池海軍航空基地で訓練を受け、特攻機「桜花」に乗って亡くなった神雷部隊の隊員たち。鹿嶋市平井の郡司文夫さん(84)らが32年前、「桜花神雷奉賛会」を立ち上げ供養を続けてきた。会員の平均年齢は80歳ほどと高齢化が進み、継承者もいない状況で運営は厳しさを増す。郡司さんは「戦争が忘れられていく」と危惧し、同会の存続を願う。
かつて同基地跡の近くに居住していた郡司さん。父が22歳の時にパプアニューギニアで戦死したこともあり、「(父と)同じくらいの年齢の隊員が亡くなり、かわいそうだ」と供養への思いを強くした。
住友金属鹿島製鉄所(当時)の構内にあった掩体壕(えんたいごう)の保存要望を訴え、桜花公園の開設(1993年)に尽力。同時期に中心となって奉賛会を設立し、同公園で毎年、慰霊祭「みたま祭り」を開いてきた。
同祭りは神職を招き祝詞奏上などを行う式典形式の実施をコロナ禍前で終了した。その後、規模は縮小したが、御霊(みたま)を迎え入れようとちょうちんや花を飾り続けている。
規模縮小は会員の高齢化が要因だ。郡司さんは「体力的に限界が来ている」とこぼす。現在のメンバーは10人程度で、平均年齢は約80歳と高齢化する。
このままでは同会の存続は危うい。過去には「活動を手伝いたい」と申し出る若者もいたが、軍隊や戦争そのものに興味があり、亡くなった英霊たちを供養するという思いを共有することはできなかったという。同じ志を持つ人がいれば「(引き継いで)やってほしい」と願う。
継承への思いには「平和が当たり前となり、戦争が忘れられていく」との危機感がある。戦争が美化されることなく、真実が伝わり「真の平和の重さ」を次世代に感じ取ってもらうことが大切と信じている。
今年のお盆も桜花公園にちょうちんを飾った。「花のつぼみのような若さで亡くなった若者を弔い続けたい」。月日が経過しても、英霊を悼む心は変わらない。
★神雷部隊
第721海軍航空隊の別名。現在の茨城県鹿嶋、神栖両市にまたがる位置にあった神之池海軍航空基地で訓練した。爆弾を積んだ特攻機「桜花」に搭乗した。桜花は一式陸上攻撃機などの母機の腹部に取り付けられ、空中で離脱し敵の目標物に体当たりした。部隊全体で800人以上が戦死したとされる。