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橋幸夫さん死去 歌謡界の巨星逝く 茨城に多くの縁 「心より感謝」 県内関係者から惜しむ声

「潮来笠」の記念碑の除幕式であいさつする橋幸夫さん=2005年7月5日、潮来市あやめ
「潮来笠」の記念碑の除幕式であいさつする橋幸夫さん=2005年7月5日、潮来市あやめ
吉田正音楽記念館が開館し、館内に展示されたレコードジャケットなどを懐かしそうに見て回る橋幸夫さん(手前右)と吉永小百合さん(同左)=2004年4月27日、日立市宮田町
吉田正音楽記念館が開館し、館内に展示されたレコードジャケットなどを懐かしそうに見て回る橋幸夫さん(手前右)と吉永小百合さん(同左)=2004年4月27日、日立市宮田町


歌手の橋幸夫さんが4日、82歳で亡くなった。橋さんは茨城県日立市出身の作曲家、吉田正さんに師事し「潮来笠」でデビューしたほか、吉田正音楽記念館(日立市宮田町)の名誉館長を務めるなど茨城県に縁が深かった。訃報を受け、親交のあった県内関係者は「深い愛情と功績に感謝」「歌っている姿がかっこいい人だった」とそれぞれ懐かしみ、日本の歌謡界にその名を刻んだ巨星の死を惜しんだ。

▼潮来笠

1960年に「潮来笠」でデビューした橋さんは、2005年に水郷いたこ大使に就任するなど同県潮来市と交流。2005年7月に水郷潮来あやめ園(潮来市あやめ)に記念碑「潮来笠」のブロンズ像が建立された際には、橋さんも出席して除幕式が開かれ、同年11月には、水郷いたこ大使に就任した。

原浩道市長は「長年、橋さんにはお世話になった。『水郷潮来あやめまつり』でコンサートをしてほしいとお願いしていたが、夢がかなわず本当に残念。ご冥福をお祈りする」と話した。

▼吉田門下生

橋さんは、日立市出身の作曲家、吉田正さんの門下生として活躍。吉田さんの死後に開館した吉田正音楽記念館で2012年から名誉館長に就任するとともに「ふるさと日立大使」も務めた。

市文化・国際課によると、師匠・吉田さんの命日には市内の寺院への墓参を欠かさなかった。昨年も2月に講演会、4月には同館の開館20周年記念式典に出席。11月にはコンサートを開き、最後の曲には吉田メロディーの「いつでも夢を」を選び、「皆で歌いましょう」と観客に呼びかけて歌い上げた。

墓参に随行した同課の鈴木亨課長は「職員にも気さくに声をかけてくれ、吉田先生への感謝の気持ちを語っておられた」と振り返った。小川春樹市長は「突然の訃報に接し、驚きと深い悲しみを禁じ得ない。本市に寄せてくださった深い愛情と功績に心より感謝申し上げる」とコメントした。

▼宝物

同県水戸市の白梅商事会長、市毛勝利さん(81)は8年前、橋さんからもらった衣装を着て、演歌歌手デビューを果たした。都内のスタジオでCDの収録中に橋さんに出会い、「長年、大ファンです」と伝えると、「よろしければ衣装をどうぞ」と愛用の衣装2着を贈られたという。

市毛さんは今でも、その衣装を宝物として大事に保管している。「歌っている姿が抜群にかっこいい人だった。寂しい限り」と声を落とした。



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