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《連載:ありがとう橋幸夫さん いばらきとの縁》(下) 「潮来笠」デビュー

来館の際に橋幸夫さんからサインしてもらった映画ポスターを手にする阿や免旅館の中根猛社長=潮来市潮来
来館の際に橋幸夫さんからサインしてもらった映画ポスターを手にする阿や免旅館の中根猛社長=潮来市潮来


■ヒット曲で観光振興 知名度向上 一番の功労者

17歳の高校生が着流し姿で歌う「潮来笠」で、1960年に歌手デビューした橋幸夫さん=今月82歳で死去。同年には、演歌歌手の花村菊江さんが「潮来花嫁さん」をリリースするなど、年末のNHK紅白歌合戦には橋さんと花村さんがそろって初出場し〝潮来対決〟を繰り広げた。

二つの大ヒット曲が立て続けに生まれたことで、「水郷潮来あやめ園(茨城県潮来市)にかかる木製の水雲橋が人の重さで壊れるのではないかと思うほど人が押し寄せた」。当時、小学生だった水郷潮来観光協会の高塚悌治会長(71)は懐古する。

水郷情緒あふれる潮来市は、歌手の美空ひばりさんが映画「娘船頭さん」(55年公開)の撮影で潮来ホテルに宿泊するなど、昭和30~40年代にかけて俳優の森繁久弥さんや歌手の春日八郎さんら多くの芸能関係者から注目を集めた。

高塚会長は「森繁さんとひばりさんが潮来の知名度を上げるベースを作り、その延長線で橋さんが潮来を世に出した」と評価。「潮来笠」をきっかけに潮来に興味を持ち、嫁入り舟、ろ舟、あやめまつりなどを知った人も多く、観光振興の「一番の功労者」ともいえるスターの死を惜しむ。

江戸時代から花街として栄えた潮来は、かつて、50軒以上の引手茶屋や10軒以上の遊郭、置屋などが水路に沿って建っていた。時代劇の撮影に適し、映画「花と喧嘩」(69年公開)のロケにも使われた。

同市の阿や免旅館の中根猛社長(72)は「(同作品の)撮影では、橋さんとひばりさんに旅館にお泊まりいただいた」と懐かしむ。2006年には、同市の潮音寺で開かれたイベントの後、橋さんがあやめ園と同旅館を訪問。その際に館内を見て回り「この景色を覚えている。お嬢(ひばりさん)も来ていたんだね」と話したという。

昭和30年代以降、「潮来笠」「船頭小唄」など潮来の地名が出てくる映画は40本近くに上った。中根社長は「橋さんと花村菊江さんが潮来の知名度を上げてくれた」と故人に感謝する。

潮音寺の村上定運住職(40)は、少なくとも06年と23年に橋さんが訪れたといい、「まちおこしに貢献された人。個人として9月26日まで塔婆を立てたい」と語る。潮来を盛り上げた橋さんへの思いを、多くの市民が胸に抱く。



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