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避難者の存在、風化危惧 茨城・桜川で福島原発事故パネル展 鹿嶋市に移った鎌田さん「古里忘れられない」

原発事故による避難者9人を紹介するパネル展=桜川市東桜川
原発事故による避難者9人を紹介するパネル展=桜川市東桜川


東京電力福島第1原発事故の避難者らの姿を写真や記事で伝えるパネル展が茨城県桜川市内で開かれている。このうちの一人で、同県鹿嶋市に移った鎌田昭三さん(82)は「生まれ育った所がなくなった。やはり(古里を)忘れられない」と悔しさをにじませる。事故から14年以上が経過した今も、茨城県では都道府県別で最多の2000人超の避難者が暮らす。パネル展は古里を追われた人々の存在を忘れないよう訴えかけている。

今回の企画は「原発事故14年 福島『避難』のかたち展」。桜川市東桜川の市生涯学習センター「さくらす」で、30日まで開催されている。

展示では福島県内外に避難した9人を紹介。避難指示を受けた人だけでなく、自主的な判断で離れた人も含め、散り散りとなった人たちの姿に焦点を当てた。事故後に多くの苦労をしながらも、写真で見せる笑顔が、それぞれの姿をより印象的に表している。

被災地域の再生を目指し支援活動を行う福島大の「地域未来デザインセンター相双地域支援サテライト」が主催。写真撮影、記事執筆も行った担当者は「避難者の存在が忘れられている」と風化を指摘する。

福島県によると、8月1日時点の県外避難者は1万9336人。都道府県別で茨城県は最多の2195人に上る。

展示されているうちの1人で、福島県南相馬市出身の鎌田さんは2020年から茨城県鹿嶋市で生活する。

当時は南相馬市内の病院の看護師で、原発事故後、入院患者約50人を警察手配のバスに乗せて搬送した。受け入れ先となった東京都内の病院に出発する前夜。スタッフの打ち合わせ中に1人が「私たちはどうなるのか」と訴えると、一斉に泣き出し、その後、長い沈黙が訪れたという。

無事に患者全員を引き渡した後、テレビで沖縄県が避難者を受け入れていると知り、沖縄県庁に連絡を入れた。「原発から少しでも遠くに行きたかった」。南相馬から約2000キロ離れた沖縄県の宮古島に単身で身を寄せた。青少年ボランティアを務めたりするなどして約9年間生活し、三線も覚えた。

南相馬の自宅は処分し、現在は鹿嶋市内の亡き姉の家に住む。

鎌田さんは23日、展示会場を訪れ、来場者を前にこれまでの経験を語った。その中で、再び原発を活用しようとする政府の姿勢を疑問視。さらに、今も「避難中」なのかという司会の問いに語気を強めた。

「生まれ育った所がなくなった。自ら出て行ったのではない。当事者がどこに住もうが避難」。古里を追われた人々は、今も大勢いる。



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