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水戸の中心市街 アーケード完全撤去へ 街とともに歴史刻む 商店主や市民「寂しい」 惜しむ声 茨城

撤去が進むアーケード=15日、水戸市南町
撤去が進むアーケード=15日、水戸市南町
昭和中期の水戸市南町3丁目のアーケード(三浦商店提供)
昭和中期の水戸市南町3丁目のアーケード(三浦商店提供)


茨城県水戸市の中心街に1カ所だけ残っていた南町3丁目のアーケードの撤去作業が進んでいる。戦後復興の思いを託して設置され、昭和から令和の時代に至るまで訪れる人を雨風や強い日差しから守り、街とともに歴史を刻んできた。だが、老朽化や商店街の衰退で維持管理が困難になり、11月末までに撤去する。商店主や買い物客からは、「寂しい」などと惜しむ声が聞かれる。

15日午後、同市南町3丁目。波打つような曲線を描くアーケードの天井を、作業員が少しずつ剥がして撤去していく。34年前の設置当初は色鮮やかだった天井も、今はくすみ、あちこちがひび割れている。

「高校の頃に友人とよく行ったレストランがある思い出の街。アーケードがなくなるのは寂しいが、今までありがとうという気持ち」。付近を通りかかった市内の女性(57)は、名残惜しそうに話した。

このアーケードは国道50号を挟んだ歩道上に設置されており、全長約240メートル。昭和中期に最初のアーケードができ、3度建て替えた。現存する4代目のアーケードが完成したのは1991年。水の都を意識したデザインで、同年のグッドデザイン賞に選ばれた。

市商店会連合会や県商店街振興組合連合会によると、南町3丁目が市内最後のアーケードだ。

■戦後復興シンボル

空襲で焼け野原となった水戸のまちでは、復興が終わる頃、水戸駅から大工町までの大通りにアーケードが設置された。南町2丁目商店街振興組合がまとめた「水府あきない物語」では、55年に完成した町内最初のアーケードを「戦後復興のシンボル」と記す。

同組合前理事長で、1884年創業「一司堂印店」の中村真一社長は、「当時は商店街が競い合っていて、造るかどうかやデザインもそれぞれで決めたと聞いている。だからこそ一貫性のないアーケードが並ぶことになった」と明かす。

水戸駅から大工町まで続くアーケードは、大通りの電線を地中に埋める工事に合わせ、大型工事車両の通行のため1990年ごろに一斉に撤去された。

工事後にアーケードを再設置したのが、南町3丁目商店街振興組合だった。小学生から80代までの幅広い年代の声を集め、設置を決めた。

同組合でまとめた冊子には、アーケードの下を大勢の老若男女が行き交う写真が残る。同所で文具店「三浦商店」を営む三浦晴保さん(81)は「学生さんやら社会人やらが通りをぞろぞろ歩き、にぎわった」と懐かしむ。

■時代の流れ

しかし、アーケード下のにぎわいは徐々に陰った。同組合の竹脇元治理事長は「県庁の移転やネット販売の普及、スーパーや郊外型の大型店が増えたのが要因」とみる。東日本大震災や新型コロナ禍も追い打ちとなった。八百屋や酒屋、レストランと多くの店が消え、駐車場が目立つようになった。

道路占有料や修繕費で年間数百万円がかかるアーケードの維持管理は、商店主らの負担になっていた。組合は、3年前から存廃を検討。修理3000万~4000万円、建て替え4億円という高額な工事費や、複数のテナントが入るビルから「上階の看板が見えない」といった意見を踏まえ撤去を決めた。

竹脇理事長はぽつりと話した。「寂しいが、これも時代の流れ」



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