神輿を乗船 浜降祭復活 水戸・吉田神社 伝承を再現、那珂川下る 茨城
茨城県水戸市宮内町の吉田神社(滑川久美雄宮司)に伝わる神事「浜降(はまおり)祭」が秋の例大祭最終日の26日、現代によみがえった。神輿(みこし)を那珂川で船に乗せ、同県ひたちなか市の河口まで下る神事で、確認できる過去の開催は江戸時代の1786(天明6)年が最後。口伝やわずかな資料を基に、神社関係者は約5年をかけて祭りの行程を再現した。復活した祭りを一目見ようと、川沿いなどには大勢の人が詰めかけた。
同祭は同神社の創建と縁深い。伝承では祭神の日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、那珂川を遡上(そじょう)し、細谷村(現水戸市)で舟を降りて、兵を休ませたとされる。神社はその跡地に建てられた。道中、那珂湊漁港(ひたちなか市)辺りで舟は座礁したが、怪力の従者、田所が持ち上げて助けたとされる。
復活した同祭は日本武尊の足跡を逆からたどった。御神体が滑川宮司とともに水戸市細谷町付近の那珂川を小舟で出発。ひたちなか市の勝田橋付近で神輿と合わせて船に乗せ替え、田所が助けたとされる場所「田所磯」の辺りまで川を下った。その様子を一目見ようと、沿道や同漁港に老若男女が詰めかけた。
氏子たちは陸に上がった神輿を担ぎ、祭り囃子(はやし)を響かせる山車(だし)とともに、観光客でにぎわう同漁港前の「那珂湊おさかな市場」を練り歩いた。同漁港では約400人が見守る中、滑川宮司が祝詞を奏上し、田所磯で採取した海水をささげた。夜に入って神輿が水戸に帰ると、地元・下市地区の住民が盛大に出迎えた。
同祭に関しては、1786年発行の「水府寺社便覧」と1887(明治20)年発行の「常陸吉田神社事蹟考」に、神事についてわずかに記されている。同神社によると、関連する史料はこの2冊を除き、水戸空襲で焼失したとみられる。
途絶えて久しく、資料も乏しい中、この神事の存在は地元で口伝されてきた。同神社の神輿会の一つ「鳳会」の庄司充孝会長(58)は「先輩らから、神輿を船に乗せ、那珂川を下る神事が昔あったと聞いていた」と話す。
復活へ思いを巡らせた庄司会長は、改めて資料を探す中で、明治時代の那珂湊港周辺の地図に「田所磯」の旧地名を発見。これを機に神社は実行委を立ち上げ、開催にこぎ着けた。
神事を無事に終え、庄司会長は「こんなに盛大に開催でき、感無量」と笑顔。滑川宮司は「例大祭で欠かせない重要な祭りの一つ。約200年ぶりにできてよかった」と感慨深そうに話した。












